『大日本史料』 12編 54 元和八年雑載 p.318

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同六年、江戸に下らせ給ふ時も御供し、芝と云ふ處, 固し奉り、事故なく大徳寺に入參らす、是偏に元秀か功なりけれは御感不淺、舊臣も多, きに、斯る際に至りても志を變せさるは汝のみなり、此事いつの世にか忘れへきと仰下, 年六十九歳にそ成にける、斯て元秀、生年十六歳、始て戰城に臨しゟ、大阪前後の戰に, 銀を賜る、, はせ給ふ時、元秀に所領を給ふ、〓、同十九年の冬、大坂御陣に隨ひ、明る元和元年の夏, 至る迄、大小の戰二十三度、自ら首を切る事十八、攻城野戰の功又少からす、一とせ傑, に暫くおはしける間も、元秀能にかしつき奉る、同八年七月、常陸國古渡の庄壹萬石賜, 今年五月十九日、元秀江戸の藩邸に在しか、病に依て空しくなりぬ、, 公も御感淺からす、御刀及白, せ給ふ時、元秀に所領加へ賜ふ, 同八年、陸奥の國棚倉の城賜はせ給ふ、, 五月七日、天王寺表の戰に能首取て、兩御所の御感に預る、, さる、, 同五年、江戸崎の地壹萬石の地加へ賜は, (徳川家康), (秀成), か携ける吸筒の酒打のみ勇けるか、其言葉にたかはす皆高名をそ仕たりける, 申ける、公御感有て、さらは初稿百石賜ふへ, 直信五人誓て申けるは、明日の戰に各高名を遂すんは必討死すへしとて、元禿, 十一日ノ第三條ニ見ユ, 必十分一の地を賜ふへしとなり、誠にや, 及高根壽久・長屋元吉は、大御所に召されて拜〓せしとなり, ヲ與フルコト、本年正月, ヽ切けれは、散樂三番叟の曲詞、たら〳〵たらりの詞を取りて名付給ひしなりと申す、此刀、今に大谷の, 此時前夜に成田彌左衞門正成、長屋茂, 此時の仰に、余若し世に出る事も候はノ, 此刀、翁と云、關和泉守か作也、翁と名付しは、傑俊公或時二つ胴を爲させ給ふに、水を切よりもたやす, 家の重寶たり、白銀は高名開せよとて賜ひしなり、此後元秀, 此時元秀、千石を加へ賜ふ、然るに元秀堅く辭して不受、去りし大坂御陣, しと被仰下、嫡男左馬介にも二百石賜ひける、, 左衞門元吉、元秀の及嫡男秀戌、二男, 倉二移シ、五萬石, ○幕府、長重ヲ棚, yにも、小人數にて御戰功も少かりき、此所領を以能き士を招き給ふへしと, (秀成), (徳川家康), にも, 忠ヨリ賞ヤ, 名シ家康秀, 大坂陣ニ高, 江戸ニテ病, ラル, 歿ス, 元和八年雜載疾病・死歿, 三一八

割注

  • か携ける吸筒の酒打のみ勇けるか、其言葉にたかはす皆高名をそ仕たりける
  • 申ける、公御感有て、さらは初稿百石賜ふへ
  • 直信五人誓て申けるは、明日の戰に各高名を遂すんは必討死すへしとて、元禿
  • 十一日ノ第三條ニ見ユ
  • 必十分一の地を賜ふへしとなり、誠にや
  • 及高根壽久・長屋元吉は、大御所に召されて拜〓せしとなり
  • ヲ與フルコト、本年正月
  • ヽ切けれは、散樂三番叟の曲詞、たら〳〵たらりの詞を取りて名付給ひしなりと申す、此刀、今に大谷の
  • 此時前夜に成田彌左衞門正成、長屋茂
  • 此時の仰に、余若し世に出る事も候はノ
  • 此刀、翁と云、關和泉守か作也、翁と名付しは、傑俊公或時二つ胴を爲させ給ふに、水を切よりもたやす
  • 家の重寶たり、白銀は高名開せよとて賜ひしなり、此後元秀
  • 此時元秀、千石を加へ賜ふ、然るに元秀堅く辭して不受、去りし大坂御陣
  • しと被仰下、嫡男左馬介にも二百石賜ひける、
  • 左衞門元吉、元秀の及嫡男秀戌、二男
  • 倉二移シ、五萬石
  • ○幕府、長重ヲ棚
  • yにも、小人數にて御戰功も少かりき、此所領を以能き士を招き給ふへしと
  • (秀成)
  • (徳川家康)
  • にも

頭注

  • 忠ヨリ賞ヤ
  • 名シ家康秀
  • 大坂陣ニ高
  • 江戸ニテ病
  • ラル
  • 歿ス

  • 元和八年雜載疾病・死歿

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  • 三一八

注記 (46)

  • 1544,1637,63,1304同六年、江戸に下らせ給ふ時も御供し、芝と云ふ處
  • 1794,663,65,2276固し奉り、事故なく大徳寺に入參らす、是偏に元秀か功なりけれは御感不淺、舊臣も多
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  • 186,659,63,2269至る迄、大小の戰二十三度、自ら首を切る事十八、攻城野戰の功又少からす、一とせ傑
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