『大日本維新史料 編年之部』 3編 7 安政5年5月11日~5月晦日 p.622

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此密告を受けたのは老中松平伊賀守, 下諸役人に金を貸し、これに依つて私を營む事、以上大略である、, る、藤吉郎が或時江戸城の櫓太鼓の音を聞いて、あれは接ぎ合せた皮だと云つた、これが, 藤吉郎の罪案に穢多の種性を隱してゐると云ふ箇條があつた、此風説の起原はかうであ, 其筋に聞えて、太鼓を納めた淺草の彈左衞門が召されて尋ねられた、彈左衞門は云つた、, とを發見して、これを伊賀守に上申した、, 御太鼓は一枚革を以て製するのが古來の定法である、しかし昔こそあれ程の大きい太鼓, 奉行にせられた、清水附は空屋を管理する閑職である、, 六、諸大名諸役人に高利の金を貸す事、七、身分不相應の奢侈をなす事、八、與力中山仙右, に張る大馬が居ただらう、今は所詮得難い、接ぎ合せた皮を一枚革と稱して納めるのであ, 事、十一、住宅附近に於て責馬をなす時、市人の通行を妨ぐる事、十二、久世、跡部、伊澤以, 衞門を讒して追放せしめし事、九、三名主を陷いれし事、十、與力東條父子を左遷せしめし, 取調を命じ、石谷は關東八州〓をして探索せしめた、そして北町奉行跡部に依怙のあるこ, ると云つた、そして猶詞を添へて、此度のお尋は何人の申立から出たか存ぜぬが、申立て, 五月二十五日に跡部は殿中に於て「清水附支配被仰付」、石谷因幡守, がこれに代つて町, である、伊賀守は公事方勘定奉行石谷因幡守, に, 清, 固, 穆, 清, 忠, 穆, 安政五年五月二十四日, 六二二

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  • 安政五年五月二十四日

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  • 六二二

注記 (26)

  • 1387,654,60,913此密告を受けたのは老中松平伊賀守
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