『大日本古文書』 浅野家文書 1 浅野家文書 p.576

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院と號す、和歌山の大仙寺に葬る、, 昇り、紀伊守にあらたむ、八年七月二十八日千姫君、秀頼に御婚儀あ〓の, ゝもに大坂城にむかふ、時に増田長盛は豐臣秀頼を奉して本城にあり, 室は池田紀伊守信輝入道勝入か女、, かふ、一日東照宮と圍碁あるのとき、其石を温めて獻に、東照宮其けかし, 毛利輝元き西城を守りて、和議をこひしてまつるにより御許容あり、二, とき、あらかしめ大坂城に在て御輿をむかふ、十一年本城經營の事を, まふ、十八年八月二十五日和歌山にをいず卒す、年三十八、春翁宗雲清光, て、三十七万六千五百六十石餘を賜ひ、和歌山城に居す、六年從四位下に, むかふ、十月軍功を賞さられ、領地をあらため、加増ありて紀伊國にをい, を加〓、榜を洛中洛外にたてゝ、暴逆の者を禁す、二十一日井伊直政等と, とめ、十五年尾張國名護屋に新城を築か〓ゝのとき、本丸乃普請を助く, 十七年正月東照宮名護屋に渡御のとき、大鷹一居をよひ御鷹の鶴をた, 長晟天正十四年若狹國小濱に生る、幼稚のときより豐臣太閻の傍につ, 十四日輝元城を去之退きしかは、幸長等先西城に入〓、東照宮の台駕を, 附録, 五七七

  • 附録

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  • 五七七

注記 (17)

  • 613,708,57,1011院と號す、和歌山の大仙寺に葬る、
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