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四月十五日、參府の後登營すなのとき、家臣二人御前に出な、のちこ〓におれし、七月二十, 乘の御脇指をたまふ、十二月二十七日奏者番阿部飛騨守正允をもず父の喪をとぬらは, せ〓まふ、二年六月十二日、有徳院殿御靈屋をよひ御寶塔し普請を助〓すとめしによ, 上中將に昇進す、寶暦元年七月十日若年寄小出信濃守英持もて有徳院殿乃御遺物, 若年寄本多伊豫守忠統をシて、利根姫君逝去により、そ乃愁傷を弔らはせ〓まひ、懇乃お, 〓、備前長吉乃御刀をたまひ、十三日家臣等にシ物を〓まふ、六年五月二十五日病篤きに, 辭職により、若年寄加納遠江守久通をもて二字國俊乃御刀を〓たふ、閏十二月二十一日, む〓仰下さる、二十九日喪を除く〓きむねお不せをかう名お、三年六月十五日、國に在て, 病乃よしきこしめさ〓、奉書も〓三御所よりとはせたまふ、四年十二月十九日從四位, よ奏者番阿部伊勢守正右及ひ侍醫武田長春院内田玄壽をして懇に〓つ〓させたま, 一日奏者番三浦志摩守義理をもて母乃喪を弔らはせ〓まぬ、十月十九日有徳院殿御, 不せ裘かう名る、二十五日有徳院殿より老女をもてと〓らはせしまひ、精進を解へき, ふ、この日また奏者番酒井下野守忠告をもて御肴を〓たふ、二十六日卒す、年三十九、忠山, 淨信政徳院と號す、二十九日奏者番松平周防守康福をもて轉銀五十枚をたまふ, 室學有徳院殿の御養女、利根姫君、實は紀伊大納言宗直卿の息女、延享二年閏十二月十, 輔忠良戍もつて賻銀二百枚を〓まひ、大御所より二百枚、浚明院殿より二十枚を〓, 六日逝す、年二十九、梅月淨響雲松院と號す、仙臺の大年寺に葬る、二十日老中本多中務大, 附録, 六〇八
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- 附録
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- 六〇八
注記 (19)
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