『大日本古文書』 幕末外国関係文書 2 嘉永6年8月~同年9月 p.199

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と軍艦と相救の理は捨て論せす、又は見る處の巍然として、目前美なるを悦, ふあやまちか、別に識者の深計あるか知らねとも、明神崎の砲臺の如きき、海, れり、湊口の防禦のみならは、如何樣共手段も有へし、又異船共の内地え乘込, を崩し、砲臺を築造し、湊口の防禦をもかねられしより、却ふあさ間の地とな, の儘ならは、浦港に入るをは防くべしなれ共、此頃又見魚崎の要地を崩し、砲, はなれて、只々机上の論ニよる故、或は西洋飜譯書中の説の新奇を好み、砲壺, 面にある泊船も打破る事は成間敷、まして異船の觀音崎富津の要地を越て、, 内地に乘入を打破る事は出來せす、又浦賀湊中に乘入上陸せんとするは、い, 然れ共、浦賀より富津迄ニて、異船を抑留せなは有へからすとて、天然の要害, は必外寇を防く爲に築造ほへき也、然れ共、當時兵を談する者更に勝負氣を, 評は知らす、狹隘の心ニは、もと浦港は、砲臺を儲けて、異船内地へ入を遮りと, を抑留せよとならは、別に術のなき事もあらさりしも可惜、しかれ共、猶當時, ゝむへき地ニはあらす、湊口を防き、上陸をせさるはなし易き地にてありし、, 臺を築造すると聞くはかよふニ築造有やせんなく、要地を崩すは可惜、砲臺, 共、當時にあはさるをもて、省録すべからさるあり、惜しむへし、地理識者の高, 浦賀ノ防, 上ノ論多, ル者ニ机, 備, 兵ヲ談ス, 嘉永六年八月, 一九九

頭注

  • 浦賀ノ防
  • 上ノ論多
  • ル者ニ机
  • 兵ヲ談ス

  • 嘉永六年八月

ノンブル

  • 一九九

注記 (22)

  • 589,601,61,2286と軍艦と相救の理は捨て論せす、又は見る處の巍然として、目前美なるを悦
  • 471,605,63,2289ふあやまちか、別に識者の深計あるか知らねとも、明神崎の砲臺の如きき、海
  • 1291,598,63,2292れり、湊口の防禦のみならは、如何樣共手段も有へし、又異船共の内地え乘込
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