『大日本古文書』 幕末外国関係文書 49 文久1年2月 p.410

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とのことである。しかし、我々が雇っている彼らの言葉に對しては無條件的な信頼をおいてはならな, い。和船の航行では、一つの島からもう一つの島へ、また一つの村から次の村へと移動するやり方を, いない事柄に關しては、しばしば單に噂だけで語ると言われている。, 峽(クルーゼンシュテルンと英國海軍省の諸地圖には渦が記されている)は淺く、全く航行不可能だ, とっている。このような路を彼らは知っている。しかし、彼らの決まりきった航路に直接横たわって, この部分には土で造成された保壘が造られているが、未だ完成してはいない。島の北東部は, 人口が稠密であり、島全域に亙って村々が續いている。朝九時に兵庫の入江を守っている岬, を廻った。そして入江に沿って二マイルの距離をとって進行した。そこでは水深は八から, 東南東に向かっている(*)。, (*)我々は、南から計算して島の全長の約三分の一のところに向け、中央部と南部の間に航路をとった。, (*)ススケザオームラとは村の名である。水先案内人の言葉によれば、淡路と四國とを隔てている鳴門海, 五・五サージェンであった。入江は北東から北を廻って南まで閉ざされていた。さらに岸は, 六日朝四時三十分に拔錨し、蒸氣を焚きながら淡路島の北側に沿って航行を續けた。島の, (*)兵庫は條約に從い、一八六三年一月一日より外國交易のために開かれる筈である。兵庫は日本帝國の, 鳴門海峽ニ, 明石海峽ヨ, リ兵庫二入, 渦潮アリ, 港豫定, ヨリ兵庫開, 一八六三年, ル, 文久元年二月, 四一〇

頭注

  • 鳴門海峽ニ
  • 明石海峽ヨ
  • リ兵庫二入
  • 渦潮アリ
  • 港豫定
  • ヨリ兵庫開
  • 一八六三年

  • 文久元年二月

ノンブル

  • 四一〇

注記 (24)

  • 1431,727,45,2169とのことである。しかし、我々が雇っている彼らの言葉に對しては無條件的な信頼をおいてはならな
  • 1309,732,48,2160い。和船の航行では、一つの島からもう一つの島へ、また一つの村から次の村へと移動するやり方を
  • 1070,733,44,1428いない事柄に關しては、しばしば單に噂だけで語ると言われている。
  • 1552,723,47,2168峽(クルーゼンシュテルンと英國海軍省の諸地圖には渦が記されている)は淺く、全く航行不可能だ
  • 1189,724,45,2169とっている。このような路を彼らは知っている。しかし、彼らの決まりきった航路に直接横たわって
  • 823,636,51,2256この部分には土で造成された保壘が造られているが、未だ完成してはいない。島の北東部は
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  • 579,632,53,2262を廻った。そして入江に沿って二マイルの距離をとって進行した。そこでは水深は八から
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  • 217,637,46,2253(*)兵庫は條約に從い、一八六三年一月一日より外國交易のために開かれる筈である。兵庫は日本帝國の
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