『大日本古文書』 幕末外国関係文書 50 文久1年2月 p.122

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して登場したが、ロシアは江戸にも長崎にも、そして神奈川にも代表部は持たなかった。, これらの樣々な領事と外國人たちは、すぐにかなりの人數が長崎に居住するようになり、, して、何らの配慮もなされていなかった。オランダ理事官は六月末に長崎奉行とこの件につ, いままに、灣の向こう岸の町の境に、いくつか高臺を均して灣の埋め立てをするための準備, いて話し合ったが、奉行は、このことについて領事と交渉する權限を與えられていないと言, の計畫の中には存在しないように見えた。その後しばらくして、領事たちがほとんど知らな, 日本の家屋や寺院を住居として選ばざるをえなくなった。そこは、よくある外國人居留地と, がなされるのが見えた。その土地は、後に、アメリカ、フランス、イギリスとロシアのため, オランダ理事官によってすでにこのことについて提案がなされていたにもかかわらず、幕府, 明し、住居と倉庫のための建物用地を獲得するために、ただ一つの見込みが存在するまでは, の土地はなお半分も仕上がっていなかった。, 長いこと時間がかかった。全般的な區畫の形成、その中に出島も含まれるが、このことは、, たモリソン領事と交替した。十一月になってようやく、マッケンジー氏もフランス領事官と, の外國人居留地として利用に供されるはずとなる、と言われていた。一八五九年末現在、こ, 町境ノ埋立, 外國人多數, 暫ク居留地, 居住スルモ, ヌ間ニ對岸, 領事ノ知ラ, 準備サレキ, ノ配慮無シ, 文久元年二月, 一二二

頭注

  • 町境ノ埋立
  • 外國人多數
  • 暫ク居留地
  • 居住スルモ
  • ヌ間ニ對岸
  • 領事ノ知ラ
  • 準備サレキ
  • ノ配慮無シ

  • 文久元年二月

ノンブル

  • 一二二

注記 (24)

  • 1712,661,55,2154して登場したが、ロシアは江戸にも長崎にも、そして神奈川にも代表部は持たなかった。
  • 1587,714,55,2148これらの樣々な領事と外國人たちは、すぐにかなりの人數が長崎に居住するようになり、
  • 1336,658,57,2234して、何らの配慮もなされていなかった。オランダ理事官は六月末に長崎奉行とこの件につ
  • 601,662,56,2237いままに、灣の向こう岸の町の境に、いくつか高臺を均して灣の埋め立てをするための準備
  • 1216,665,52,2236いて話し合ったが、奉行は、このことについて領事と交渉する權限を與えられていないと言
  • 727,661,54,2236の計畫の中には存在しないように見えた。その後しばらくして、領事たちがほとんど知らな
  • 1461,656,56,2241日本の家屋や寺院を住居として選ばざるをえなくなった。そこは、よくある外國人居留地と
  • 477,655,55,2236がなされるのが見えた。その土地は、後に、アメリカ、フランス、イギリスとロシアのため
  • 849,656,53,2243オランダ理事官によってすでにこのことについて提案がなされていたにもかかわらず、幕府
  • 1093,657,54,2237明し、住居と倉庫のための建物用地を獲得するために、ただ一つの見込みが存在するまでは
  • 226,657,54,1052の土地はなお半分も仕上がっていなかった。
  • 971,654,54,2210長いこと時間がかかった。全般的な區畫の形成、その中に出島も含まれるが、このことは、
  • 1827,662,54,2236たモリソン領事と交替した。十一月になってようやく、マッケンジー氏もフランス領事官と
  • 349,659,58,2232の外國人居留地として利用に供されるはずとなる、と言われていた。一八五九年末現在、こ
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