『維新史』 維新史 1 p.57

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策の基礎を、一〓鞏固ならしめたものといふべきである。, に參與した天海, へて寺格を高め、天台宗弘布の勢を助けんと欲し、將軍家光に向つて、皇胤の御東, 戸城鬼門の鎭守とした關東天台宗の總本山である。天海は此所に法親王を迎, に院政をお勸め申したのは、家光であつたのである。斯くて八月五日、家光は京, 寺に皇胤を迎へ、輪王寺門跡宮を創立したことである。抑寛永寺は幕政の樞機, 進以下の朝政何事も院の御はからひたるべき旨を奏請した。即ち後水尾上皇, 三日、家光は井伊直孝・土井利勝・酒井忠勝・板倉重宗を仙洞御所に遣はして、官位昇, 下を奏請することを求め、家光は之に同意し、寛永十五年後水尾上皇の皇子今宮, 洞御料三千石の外に、更に七千石を増進して一萬石と爲し奉つた。また同二十, を退いたが、其の滯京の間、大いに威武を西國に眩耀すると共に、一面贈遺・賑給を, 厚くして上下の人心を收攬し、所謂恩威並び施して、祖考以來苦心した京都制馭, 更に家光の晩年に於ける朝幕關係に就いて看過すべからざるは、東叡山寛永, の創意に基き、京都の叡山に擬し、東照權現をも勸請して江, する等、人心の收攬に勗めた傍ら、閏七月三日、土井利勝・板倉重宗を使者として、仙, 大師, 慈眼, 法親王の, 東下, 第一章朝廷第二節朝幕關係, 五七

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  • 大師
  • 慈眼

頭注

  • 法親王の
  • 東下

  • 第一章朝廷第二節朝幕關係

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  • 五七

注記 (21)

  • 1031,556,57,1611策の基礎を、一〓鞏固ならしめたものといふべきである。
  • 698,560,56,448に參與した天海
  • 476,566,59,2263へて寺格を高め、天台宗弘布の勢を助けんと欲し、將軍家光に向つて、皇胤の御東
  • 586,559,58,2267戸城鬼門の鎭守とした關東天台宗の總本山である。天海は此所に法親王を迎
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  • 813,552,58,2277寺に皇胤を迎へ、輪王寺門跡宮を創立したことである。抑寛永寺は幕政の樞機
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