『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 12 訳4下1640年01月-1641年01月 p.54

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を拂うよう忠告した。, ても、その他凡ゆることについても、我々の訓令書に述べられたように、良く秩序を守り注意, と盡力に感謝するためで、今これを、貴下達それぞれに對するこのスホイト銀百枚の下賜を以, 同月三日閣僚内匠殿は使者を送り、我々に次のことを知らせた。すなわち、皇帝陛下が昨, 宛てた返書を持たせて歸らせた。その中で彼等に我々の立場と情勢を傳え、大砲鑄造所につい, のことである。, て行い、他に命令する事はないので、貴下達に暇を與える。貴下達は長いこと待ったので、急, に、炸裂彈の製法を習臼得することができるつもりでいたが、皇帝陛下が歸るまで城に留まっ, て、日々の業務をとり行うよう命ぜられたので、事態は彼の意圖とは逆になってしまった、と, 同月二日陛下が今朝、日光(江戸から東方へ四日の行程にある)に向けて出發したと聞い, た。同地の恒例の場所及び寺院で、彼の父の墓所の祭りを行い、捧物をするためである。, いで國に歸るように、と。, 告げられた。すなわち、陛下が貴下達を呼んだのは、有馬, 今日我々は平戸からの使者に、上級商務員エルセラック氏及び大砲鑄造所の下級商務員達に, の考えでは、以前、皇帝が日光に行き、その留守の間, 日日光へ向かったこと、また、彼, 日日光へ向かったこと、また、彼内匠の考えでは、以前、皇帝が日光に行き、その留守の間, の戰爭における貴下達の骨折り, の記事あり。なお、末次茂房は別に廩米二百俵を下賜された。, ○大猷院殿御實紀、寛永十七年四月十二日條に末次平藏等被褒賜, 殿。, ○内匠, カロン平戸, に在るエル, 參の爲め發, 駕す, セラック等, 光の日光社, 牧野信成家, 留守居を命, 家光日光社, に返書を送, ぜらる, 參中江戸城, る, 〔uwer moeijten ende diligentie tot den arimasen oorloch), 一六四〇年六月, 五一, 一六四〇年六月

割注

  • の記事あり。なお、末次茂房は別に廩米二百俵を下賜された。
  • ○大猷院殿御實紀、寛永十七年四月十二日條に末次平藏等被褒賜
  • 殿。
  • ○内匠

頭注

  • カロン平戸
  • に在るエル
  • 參の爲め發
  • 駕す
  • セラック等
  • 光の日光社
  • 牧野信成家
  • 留守居を命
  • 家光日光社
  • に返書を送
  • ぜらる
  • 參中江戸城

  • 〔uwer moeijten ende diligentie tot den arimasen oorloch)
  • 一六四〇年六月

ノンブル

  • 五一
  • 一六四〇年六月

注記 (39)

  • 856,538,53,504を拂うよう忠告した。
  • 959,543,55,2281ても、その他凡ゆることについても、我々の訓令書に述べられたように、良く秩序を守り注意
  • 1687,536,57,2287と盡力に感謝するためで、今これを、貴下達それぞれに對するこのスホイト銀百枚の下賜を以
  • 750,580,56,2245同月三日閣僚内匠殿は使者を送り、我々に次のことを知らせた。すなわち、皇帝陛下が昨
  • 1062,532,56,2282宛てた返書を持たせて歸らせた。その中で彼等に我々の立場と情勢を傳え、大砲鑄造所につい
  • 338,548,50,334のことである。
  • 1582,539,57,2283て行い、他に命令する事はないので、貴下達に暇を與える。貴下達は長いこと待ったので、急
  • 541,555,58,2256に、炸裂彈の製法を習臼得することができるつもりでいたが、皇帝陛下が歸るまで城に留まっ
  • 438,544,56,2277て、日々の業務をとり行うよう命ぜられたので、事態は彼の意圖とは逆になってしまった、と
  • 1374,581,56,2237同月二日陛下が今朝、日光(江戸から東方へ四日の行程にある)に向けて出發したと聞い
  • 1271,544,55,2129た。同地の恒例の場所及び寺院で、彼の父の墓所の祭りを行い、捧物をするためである。
  • 1482,544,54,612いで國に歸るように、と。
  • 1791,533,56,1433告げられた。すなわち、陛下が貴下達を呼んだのは、有馬
  • 1166,578,56,2226今日我々は平戸からの使者に、上級商務員エルセラック氏及び大砲鑄造所の下級商務員達に
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  • 642,545,67,2284日日光へ向かったこと、また、彼内匠の考えでは、以前、皇帝が日光に行き、その留守の間
  • 1793,2063,52,750の戰爭における貴下達の骨折り
  • 1463,1192,43,1182の記事あり。なお、末次茂房は別に廩米二百俵を下賜された。
  • 1506,1188,45,1261○大猷院殿御實紀、寛永十七年四月十二日條に末次平藏等被褒賜
  • 631,1393,37,59殿。
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  • 1133,274,42,202に在るエル
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  • 714,272,38,213光の日光社
  • 756,271,44,212牧野信成家
  • 627,272,39,213留守居を命
  • 1384,269,44,212家光日光社
  • 1045,274,41,211に返書を送
  • 583,274,37,121ぜらる
  • 670,272,41,214參中江戸城
  • 1006,271,30,37
  • 1860,1852,41,967〔uwer moeijten ende diligentie tot den arimasen oorloch)
  • 234,772,43,286一六四〇年六月
  • 235,2477,40,77五一
  • 235,772,43,286一六四〇年六月

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