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進の懷紙を下し賜はり、又禁裏御料を増し奉りしに對しては、同年三月關東下向, 三千石を増して一萬石と爲す等、皇室尊崇の實蹟を擧げたので、朝幕の關係も〓, に禁裏・仙洞兩御所に於いて、御歌會を開かせ給ひて御製を始め關白・宮・公卿等詠, 三位に敍せられた。家宣と近衞氏との結婚はやがて公武合體の素地を作つた, の敕使を以て、宸翰懷紙を綱吉に、大紋綸子十卷を綱吉の生母從一位桂昌院に、羽, る融和せられた。例へば寶永二年正月綱吉が六十の賀筵を催したのに對し、特, 二重十疋を綱吉の御臺所等に賜はつた、, もので、御臺所の父近衞基熙は、古典有職に精しく、中御門天皇の寶永七年に、幕府, に招聘せられて江戸に駐まること前後三年、家宣時代幕政の中樞に在つた新井, のに因るもので、寔に天意を慰め奉つた美事と云ふべく、特に叡感の御沙汰を拜, 君美とも親善で、頗る朝幕の融和に努めた。同七年八月、東山天皇の第六皇子秀, 家宣に建白したのに基くと共に、亦基熙が東山天皇の御遺志を家宣に傳達した, 寶永六年綱吉が薨じ、五月家宣が襲職した翌月に御臺所近衞氏は異數にも從, の、新に閑院宮家を創立せられたのは、君美が皇子皇女の御出家を〓歎し、, 宮, 直仁, 親王, 閑院宮家, の創立, 第一編尊王論の發達, 六四
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- 直仁
- 親王
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- 閑院宮家
- の創立
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- 第一編尊王論の發達
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- 六四
注記 (21)
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- 1283,586,58,2255の敕使を以て、宸翰懷紙を綱吉に、大紋綸子十卷を綱吉の生母從一位桂昌院に、羽
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- 1176,588,55,1123二重十疋を綱吉の御臺所等に賜はつた、
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