『維新史』 維新史 1 p.76

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し、總計三千石と爲し奉つた。, 亦斯かる態度に出でざるを得なかつたものとも推考せられる。, 生してゐた事に基因すると傳へられてゐる。即ち將軍家齊の生父一橋治濟が、, 硬なる態度に出でたことは、當時幕府の執政たる松平定信の意見に職由する所, が多からうが、恰も是と時を同じくして、幕府内に於いても同一性質の問題が發, 起り、同五年三月に至る前後五年の久しきに亙り、迂餘曲折を極めた事件で、幕府, の反對に依り、遂に實現を見るに至らなかつたのである。思ふに幕府が斯く強, ゐる程であれば、定信の其の間に於ける苦心は察するに餘あり、朝旨に對しても, 抑朝廷が前後五年間に亙つて、反覆此の議を主張せられ、大いに強硬な態度に, 信の再三之を諫止するに及んで、遂に怒つて手打にしようとさへしたのを、側衆, 斯くて尊號事件は、寛政元年二月内裏造營工事將に着手せられんとする頃に, 西丸に入つて夙に大御所たらうとする意圖があり、家齊は屡〻之を左右に諮り、定, 出でられたことは、前時代に於いては嘗て無かつた所であり、滿廷の公卿が、幕府, が傍より巧に之を阻止した事が「文恭院殿御實紀附録」に記されて, 平岡頼長, 美濃, 守, 第一編尊王論の發達, 七六

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  • 美濃

  • 第一編尊王論の發達

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  • 七六

注記 (19)

  • 1723,589,57,794し、總計三千石と爲し奉つた。
  • 475,591,61,1792亦斯かる態度に出でざるを得なかつたものとも推考せられる。
  • 1056,587,60,2275生してゐた事に基因すると傳へられてゐる。即ち將軍家齊の生父一橋治濟が、
  • 1282,585,61,2265硬なる態度に出でたことは、當時幕府の執政たる松平定信の意見に職由する所
  • 1172,586,59,2264が多からうが、恰も是と時を同じくして、幕府内に於いても同一性質の問題が發
  • 1501,588,59,2257起り、同五年三月に至る前後五年の久しきに亙り、迂餘曲折を極めた事件で、幕府
  • 1393,587,57,2255の反對に依り、遂に實現を見るに至らなかつたのである。思ふに幕府が斯く強
  • 591,588,59,2267ゐる程であれば、定信の其の間に於ける苦心は察するに餘あり、朝旨に對しても
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