『維新史』 維新史 1 p.83

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に經書の進講を命じ、以後毎月三次の講筵を開くを常例と定め、天和二年正月に, の發達上に至大の功績があつた。, 十二月、幕府は上野忍岡五千三百餘坪の地を別〓として林羅山に興へ、其の内に, に移して、宏壯なる大成殿を建造した。又翌年儒者の僧形を廢して蓄髮せしめ、, 家の學寮を弘文院と稱するに至つたのは、寛文三年、四代將軍家綱の時であつた。, 翌年釋奠の儀が始めて此所で行はれ、家光は親しく之に臨んでゐる。而して林, は讀書始の儀を興し、次いで自らも亦書を講じて、諸侯・有司をして聽聞せしめた。, 學寮を建てしめ、同九年には尾張藩主徳川義直が更に其の内に先聖殿を建てて、, 之より以後鳳岡は信篤と稱し、儒官として大學頭に列し、林家代々文教を總轄す, 思ふに、朱子學が官學たる形式を備へたのは、三代將軍家光の時代で、寛永七年, 五代將軍綱吉は夙に學を好み、延寶八年將軍に就職するや、直ちに羅山の孫鳳岡, に於いて有用の國書・漢籍・佛典等を刊行せしめ、一般の學問普及にも便して、文運, 〓次いで元祿三年、上野先聖殿の規模の狹小なるを憾み、之を學寮と共に本郷湯島, 康の眞意は、幕府の典禮・制度の調査に資する爲ではあつたが、一方には伏見・駿府, の隆盛, 教總轄, 林家の文, 朱子學派, 第二章尊王思想の發達第一節儒學國學の興隆, 八三

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  • の隆盛
  • 教總轄
  • 林家の文
  • 朱子學派

  • 第二章尊王思想の發達第一節儒學國學の興隆

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  • 八三

注記 (20)

  • 814,551,63,2269に經書の進講を命じ、以後毎月三次の講筵を開くを常例と定め、天和二年正月に
  • 1618,558,55,933の發達上に至大の功績があつた。
  • 1374,555,66,2263十二月、幕府は上野忍岡五千三百餘坪の地を別〓として林羅山に興へ、其の内に
  • 485,560,61,2276に移して、宏壯なる大成殿を建造した。又翌年儒者の僧形を廢して蓄髮せしめ、
  • 1034,552,65,2287家の學寮を弘文院と稱するに至つたのは、寛文三年、四代將軍家綱の時であつた。
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  • 698,560,68,2283は讀書始の儀を興し、次いで自らも亦書を講じて、諸侯・有司をして聽聞せしめた。
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  • 373,561,61,2263之より以後鳳岡は信篤と稱し、儒官として大學頭に列し、林家代々文教を總轄す
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