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の嗣となつたので、藤田一派は次代の主として最も齊昭に, 松藩主松平頼儀, られ、後、參議權中納言に陞つた。これ即ち烈公である。, たので之に贊して、其の議は漸く有力にならうとした。偶文政十二年齊脩の疾, として迎へた例に傚はうとする者があり、齊脩の夫人峰姫も亦家齊の女であつ, に依り、同年十月十七日敬三郎は三十歳にして、第九代の水戸藩主となるに至つ, 公邊へ申立、敬三郎殿養子いたし、國政を禪り可然存候」の旨が記してあつたのと, 方運動を試みたのと、又齊脩の薨ずるや、其の遺書「朶雲片々」にも「拙者去世之後は, 篤く、彰考館總裁代役たる東湖は、會澤正志齋等の同志と共に急遽江戸に上り、百, 囑目してゐた。而して藩士中には、先に尾張・紀伊の二家が將軍家齊の男を繼嗣, の教訓の賜ともいふべく、「武公遺事」(青山延于著)は此の間の消息を傳へて、, た。越えて十二月十八日登營して齊昭の名を賜ひ、從三位左近衞權中將に任ぜ, 齊昭が光圀以來の傳統を承けて、居常尊王の念に燃えたことは、一には父治紀, は御平生朝廷をことの外御崇敬遊けり。或時景山公子, されけるは、たとひ何方の養子と成候とも、御譜代大名ヘハ參り不申候樣に心, へ御意遊, 公, ○治, 讚岐, ○齊, 紀, 昭, 守, 武公遺事, 尊王思想, に現れた, 第一編尊王論の發達, 一四六
割注
- ○治
- 讚岐
- ○齊
- 紀
- 昭
- 守
頭注
- 武公遺事
- 尊王思想
- に現れた
柱
- 第一編尊王論の發達
ノンブル
- 一四六
注記 (28)
- 1703,1169,63,1663の嗣となつたので、藤田一派は次代の主として最も齊昭に
- 1710,570,58,452松藩主松平頼儀
- 693,564,63,1540られ、後、參議權中納言に陞つた。これ即ち烈公である。
- 1367,566,67,2265たので之に贊して、其の議は漸く有力にならうとした。偶文政十二年齊脩の疾
- 1480,567,65,2259として迎へた例に傚はうとする者があり、齊脩の夫人峰姫も亦家齊の女であつ
- 925,565,66,2259に依り、同年十月十七日敬三郎は三十歳にして、第九代の水戸藩主となるに至つ
- 1037,564,68,2265公邊へ申立、敬三郎殿養子いたし、國政を禪り可然存候」の旨が記してあつたのと
- 1147,564,69,2265方運動を試みたのと、又齊脩の薨ずるや、其の遺書「朶雲片々」にも「拙者去世之後は
- 1257,561,67,2273篤く、彰考館總裁代役たる東湖は、會澤正志齋等の同志と共に急遽江戸に上り、百
- 1590,565,66,2269囑目してゐた。而して藩士中には、先に尾張・紀伊の二家が將軍家齊の男を繼嗣
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- 569,629,70,2194齊昭が光圀以來の傳統を承けて、居常尊王の念に燃えたことは、一には父治紀
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