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を訂し、到る所詩篇を遺して歸つたのであつた。而して同五年、山陽は京都の寓, た。寛政九年江戸に上つて尾藤二洲の門に入り、又柴野栗山の教をも承けたが, て京都に寓居した。, 憶せらるべき大旅行であつた。即ち此の行たる、鎭西諸藩の有志、又は名士と交, 宕陰, 嫡子と爲つて家を嗣ぎ、後に藝藩教授に進み、第三子鴨崖, 見るに至らずして、五十三3を以て逝去した。長子〓庵, を三本木に求めて水西莊と名づけ、且つ庭中に草堂を建てて山紫水明處と稱し、, 幾許もなく歸國し、享和二年「日本外史」の執筆に著手した。文化五年其の初稿の, 東山を仰ぎ、鴨河を俯して、悠々自適の中に「日本外史」の改刪を了へ、新に「日本政記, 略完成するや、翌年備後の神邊に到つて菅茶山塾の都講を勤め、次いで八年去つ, の起草に著手した。悲しい哉、天保三年九月二十三日、政記の稿は充分の完成を, 文政元年春より冬に至る間、鎭西に遊歴したが、これは山陽の生涯に於いて記, を繼いで、安政戊午の大獄に殉難した。門人中では、藤井竹外啓・森田節齋盆・鹽谷, は最も父の氣質, は早く祖父春水の, 等が顯れてゐる。, 元協, 郎、醇, 餘一, 三樹三, 世, 弘, 京都三本, 木の寓居, 第一編尊王論の發達, 一八六
割注
- 元協
- 郎、醇
- 餘一
- 三樹三
- 世
- 弘
頭注
- 京都三本
- 木の寓居
柱
- 第一編尊王論の發達
ノンブル
- 一八六
注記 (27)
- 1001,583,58,2268を訂し、到る所詩篇を遺して歸つたのであつた。而して同五年、山陽は京都の寓
- 1710,585,59,2271た。寛政九年江戸に上つて尾藤二洲の門に入り、又柴野栗山の教をも承けたが
- 1357,591,54,528て京都に寓居した。
- 1119,580,59,2265憶せらるべき大旅行であつた。即ち此の行たる、鎭西諸藩の有志、又は名士と交
- 225,582,52,115宕陰
- 445,581,58,1599嫡子と爲つて家を嗣ぎ、後に藝藩教授に進み、第三子鴨崖
- 557,582,58,1601見るに至らずして、五十三3を以て逝去した。長子〓庵
- 891,586,57,2275を三本木に求めて水西莊と名づけ、且つ庭中に草堂を建てて山紫水明處と稱し、
- 1591,581,59,2258幾許もなく歸國し、享和二年「日本外史」の執筆に著手した。文化五年其の初稿の
- 780,579,58,2282東山を仰ぎ、鴨河を俯して、悠々自適の中に「日本外史」の改刪を了へ、新に「日本政記
- 1475,584,57,2253略完成するや、翌年備後の神邊に到つて菅茶山塾の都講を勤め、次いで八年去つ
- 665,584,62,2263の起草に著手した。悲しい哉、天保三年九月二十三日、政記の稿は充分の完成を
- 1237,652,59,2195文政元年春より冬に至る間、鎭西に遊歴したが、これは山陽の生涯に於いて記
- 333,579,59,2270を繼いで、安政戊午の大獄に殉難した。門人中では、藤井竹外啓・森田節齋盆・鹽谷
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