『維新史』 維新史 1 p.212

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六織田家の内証と大貳等の處刑, らなかつたが、折節織田家の内証事件が發生し、是が發覺の端緒となつて、遂に〓, 見を述べてゐた。彼は越中富山の人、幼時京都に赴いて、元文年間地下官人藤井, た所から、自ら是等と相親しみ、偶〻二人が徳大寺公城等と神書進講のことを中心, 揚し、自ら亦甲府進撃の法を談じ、或は江戸城攻撃のことを唱へて、其の論旨頗る, 忠義に養はれて大舍人となり、寶暦元年大和守に進み、八十宮御家司となり、皇學, として、皇威の伸張を圖るや、其の議に與り、事が全く敗れるに及んで、遁れて江戸, に來り、大貳の家に寓居するに至つたのである。居常大貳の攻城野戰の策を稱, 矯激を極めた。然れども幕府は之を察知し得ず、幸に二人は逮捕せられるに至, 所教官を兼ねた。而して正親町三條公積・西洞院時名は八十宮御世話掛であつ, は信長の裔、明和元年同族より入りて封を繼いだが、, 藩主織田信邦, 彈せらるることとなつた。, 小幡, 敏慧學を好み、吉田玄蕃を寵用して老臣の首席に拔擢し、玄蕃も其の知遇に感激, 美濃, 守, 野, 上, 吉田玄蕃, の交遊, と大貳と, 第一編尊王論の發達, 二一二

割注

  • 美濃

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  • 吉田玄蕃
  • の交遊
  • と大貳と

  • 第一編尊王論の發達

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  • 二一二

注記 (24)

  • 467,978,56,985六織田家の内証と大貳等の處刑
  • 806,567,58,2271らなかつたが、折節織田家の内証事件が發生し、是が發覺の端緒となつて、遂に〓
  • 1704,565,60,2275見を述べてゐた。彼は越中富山の人、幼時京都に赴いて、元文年間地下官人藤井
  • 1358,568,58,2265た所から、自ら是等と相親しみ、偶〻二人が徳大寺公城等と神書進講のことを中心
  • 1026,566,58,2268揚し、自ら亦甲府進撃の法を談じ、或は江戸城攻撃のことを唱へて、其の論旨頗る
  • 1586,566,59,2271忠義に養はれて大舍人となり、寶暦元年大和守に進み、八十宮御家司となり、皇學
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