『維新史』 維新史 1 p.496

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が伊達政宗の命によつて羅馬に使したのは, には大友義鎭・有馬晴信・大村純忠等は伊東義賢・千々, には「平家物語、同二年には「伊曾保物語」並びに「金句集、同, 石清左衞門等を正使として羅馬に差遣し、法王グレゴリー十三世に信書を呈し, はれた。文祿元年, 天文地理に詳しく、また科學の智識を有して邦人の目には奇瑞を示すものとし, た。而して天正十年, れて、今稀にこれが遺存する。而して最初渡來の此等宣教師たちが醫療に通じ, これより二十三年後の慶長十八年, て映じ、邦人をして耶蘇教を信ずると共に一般西洋文明に傾倒せしめるに至つ, らうが、事實は此に反して鎖國の法令が次第に布告せられて、遂に寛永の鎖國令, 布を許可したなら、我が國近世の文明は少からず西洋文明を以て彩られたであ, 川家康、次いで徳川秀忠・徳川家光にして依然海外との交通を繼續し、基督教の流, 三年には「拉丁文典提要」、同四年には「拉・葡・日對譯辭典」等が天草に於いて出版せら, て、大いに歡待を受け、八年の後、使は地圖・地球儀・時計等珍貴な什器を携へて歸朝, であつた。若し織田信長・豐臣秀吉・徳, した。彼の仙臺藩士支倉常長, を見るに至つたのである。それでも天文以降寛永に至る迄には約百年の歳月, 六右, 西暦一六, 衞門, 西暦一五, 西暦一五, 一三年, 八二年, 九二年, 第三編鎖國政策の破綻, 四九八

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  • 六右
  • 西暦一六
  • 衞門
  • 西暦一五
  • 一三年
  • 八二年
  • 九二年

  • 第三編鎖國政策の破綻

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  • 四九八

注記 (28)

  • 802,1577,63,1272が伊達政宗の命によつて羅馬に使したのは
  • 1136,1383,67,1452には大友義鎭・有馬晴信・大村純忠等は伊東義賢・千々
  • 1714,1309,65,1535には「平家物語、同二年には「伊曾保物語」並びに「金句集、同
  • 1024,567,74,2277石清左衞門等を正使として羅馬に差遣し、法王グレゴリー十三世に信書を呈し
  • 1731,573,53,517はれた。文祿元年
  • 1373,570,77,2272天文地理に詳しく、また科學の智識を有して邦人の目には奇瑞を示すものとし
  • 1154,570,56,586た。而して天正十年
  • 1487,569,74,2281れて、今稀にこれが遺存する。而して最初渡來の此等宣教師たちが醫療に通じ
  • 695,573,60,989これより二十三年後の慶長十八年
  • 1255,570,74,2268て映じ、邦人をして耶蘇教を信ずると共に一般西洋文明に傾倒せしめるに至つ
  • 350,566,72,2274らうが、事實は此に反して鎖國の法令が次第に布告せられて、遂に寛永の鎖國令
  • 461,568,73,2271布を許可したなら、我が國近世の文明は少からず西洋文明を以て彩られたであ
  • 566,567,77,2273川家康、次いで徳川秀忠・徳川家光にして依然海外との交通を繼續し、基督教の流
  • 1601,570,73,2275三年には「拉丁文典提要」、同四年には「拉・葡・日對譯辭典」等が天草に於いて出版せら
  • 911,571,75,2273て、大いに歡待を受け、八年の後、使は地圖・地球儀・時計等珍貴な什器を携へて歸朝
  • 682,1786,63,1056であつた。若し織田信長・豐臣秀吉・徳
  • 814,573,60,851した。彼の仙臺藩士支倉常長
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