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られてゐる。亂妨の者に對しては天下の大法によつて詮議せられるのである, は末々迄如何ばかり殘念に思うてゐるであらうかと、將軍も此の上なく心勞せ, の事は將軍の厚き思召もあるによつて、末々に至るまで安心いたすやうにと懇, 篤な口上を傳へて慰撫した。而して同月晦日に至つて幕府は直彌の大老を罷, の重職にあつて精忠一途に勤仕してゐたことは將軍も承知せられ力に思はれ, てゐるから、藩士も其の家柄を考へ、萬一にも粗忽の族が無いやうに」と。又々懇, めた。閏三月二十日直〓は病氣危篤に陷つた旨を上申したので、將軍は小納戸, から決して動搖しないやうに。井伊家は格別の家柄であるし、殊に直弼は大老, 上使とし、病氣見舞として鮮魚・氷砂糖などを與へ、「此の度の不慮の次第に就いて, うたのを却けて、諸事は幕府の所置に一任して動搖すべきでない。井伊家血食, 篤に申渡した。又七日には若年寄酒井忠叫, 頭取田村石見守を其の邸に遣して物を與へ、又二十五日には奧醫章庵を遣して, 病を問はしめた。二十九日には奏者番堀田正誠, を見舞の爲に遣した。かく, て同月晦日を以て直①の死は發表せられたのである。是より先二十三日直弼, ・御側御用取次藥師寺元眞を, 豐前, 敦賀藩主, 右京亮, 守, に相續, 發喪並び, 第七編公武合體の氣運, 七四二
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- 豐前
- 敦賀藩主
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- に相續
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- 七四二
注記 (24)
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- 1607,576,55,2258の事は將軍の厚き思召もあるによつて、末々に至るまで安心いたすやうにと懇
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