『維新史』 維新史 3 p.62

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たのであつた。, 彦に讓つて宗家に復歸し、周防・忠教を改めて和泉・久光と稱し、茂久を輔けて舊染, 汚俗を一洗し、藩政の〓革矯正に盡瘁した。時は國事が紛糾錯雜して其の歸す, るところを知らず、尊攘志士が蹶然起つて報效の誠を竭さうとせる際であつた。, の養子となり、天保十年家督を繼ぎ、又次郎の名を山城, して藩政を後見し、薩藩の活動は愈〻眞劍を極めるに至つた。, 久光は意を決して、亡兄齊彬の遺志を繼承し、公武の間に周旋せんとするに至つ, を領せる一門島津出雲, と改めた。茂久宗家を繼ぐに及び、文久元年四月重富家を第三子又次郎, ・有村武次, 有爲の士であつた。幾ばくもなく同年十二月十五日、久光は藩主茂久の生父と, 新七等四十餘人であつて、薩州藩の誠忠の士を代表し、同藩勤王黨の中樞をなす, 島津久光は齊彬の異母弟にして、文政九年大隅國重富郷に於いて一萬四千石, 村田新八, ・吉井幸輔, せしめたのであつた。少壯有爲の士とは、西郷吉之助を始めとして、大久保一藏・, 堀次郎・岩下佐次右衞門, 曩に萬延元年の春、茂久は始めて參勤の途に上つて、筑後國松崎驛に到れる際、, 有馬, 後周, 初仁左衞門, 初俊齋、後, 仲助、友實, 海江田信義, 滿, 防, 經, 珍, 忠, 後, 公, 方, 平, 茂久生父, 久光の藩, 政後見, 第九編雄藩の國事斡旋, 六二

割注

  • 後周
  • 初仁左衞門
  • 初俊齋、後
  • 仲助、友實
  • 海江田信義
  • 滿

頭注

  • 茂久生父
  • 久光の藩
  • 政後見

  • 第九編雄藩の國事斡旋

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  • 六二

注記 (38)

  • 358,563,54,397たのであつた。
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