『維新史』 維新史 4 p.115

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を全うする所以であると主張する者があり、又一方には切迫してゐる今日、慶寧, を盡さなかつた責任を負つて、八月十一日海津の客舍に屠腹した。, 廷は守衞各藩の決死防戰に努めたことを嘉賞あらせられた。越えて八月三日, する者もあつた。かくて十九日拂曉既に長州藩士等が入京してゐるのに、加州, を留めて禁門の守衞に當らしめ、己れは申刻, て退去と決し、重臣奧村榮通, 守衞に當つたとはいへ、斯かる進退には、世上は勿論、同藩中に於いても、頗る非難, が京都を去るのは、京都守衞の責を全うしないものであると、滯京を強硬に主張, 客館では去就の兩論が鬪はされてゐた。併し慶寧は儒臣千秋藤篤の議を採つ, には、慶喜の手より薩州・福井・會津・桑名・彦根・大垣・淺尾の諸藩主に感状を與へられ, 々歸國すべしと命ぜられたのである。茲に於いて重臣松平大貳, 一方此の戰に因る賞典も亦行はれた。先づ武家に對しては七月二十九日、朝, 中には、偶〻慶寧が病氣であつたのに託し、京都を去ることが、長州藩に對して信義, が多かつた。七月二十二日朝廷は慶寧に對して、叡慮に叶はせられない故に、早, 大津に退き、尋いで海津に行つて駐つたのである。假令藩士の一部が禁門の, は輔佐の任, 伊豫, 康, 正, 後, 守, 時, 午, 宮公家武, 賞, 家への恩, 第二章第一囘征長の役第一節變後の情勢と將軍進發の聲明, 一一五

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  • 伊豫

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  • 宮公家武
  • 家への恩

  • 第二章第一囘征長の役第一節變後の情勢と將軍進發の聲明

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  • 一一五

注記 (28)

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