『維新史』 維新史 4 p.169

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た。兩論を繞つて論議は何時果つべしとも見えず、四ツ半時, 聞多は, 慘状を見て、覺えず悲歎に咽び、流涕潛然として聞多の面上に注いだ。眼を開い, 聞多遭難の夜深更、麻田公輔は時事の日に非なるを憂へ、遂に自刃するに至つ, た聞多は、俊輔の身邊の危險を慮り、速かに山口を去る事を勸めた。俊輔は之を, する爲、防長二國の士民は孰れも斃れて後已むの決心を固むべきであると述べ, 諾し、歎息して辭し去つたと言ふ, をも採らず、夕六ツ時, とするの状を漏れ聞くや、窃かに其の要撃を策した。此の夜五ツ時, 然るに選鋒隊士等は、聞多が武備恭順説を強硬に主張し、遂に藩議が之に決せん, 殘務を處理して政事堂を退出し、自宅に歸る途次、數名の刺客に襲はれて遂に重, 傷を負うたが、纔かに遁れて一命をとり止めた。當時下關に滯在してゐた伊藤, 表し、翌日再び會議を開いて、略〻其の意見に從つて藩是を確定する事となつた。, 減の如き苛酷の處置に出る時は、已むを得ず之と一戰を試み、尊王の大義を貫徹, 迄續けられた。藩主毛利敬親は、聞多の意見に贊意を, に始つて晝食, 俊輔, は、聞多遭難の報に接するや、直ちに馳せて山口に來た。俊輔は聞多の, 六時, 午後, 八時, 春輔, 午前, 午後, 後博文, 十時, 聞多の遭, 難, 第三章長州藩の恭順謝罪第一節禁門變後の長州藩情, 一六九

割注

  • 六時
  • 午後
  • 八時
  • 春輔
  • 午前
  • 後博文
  • 十時

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  • 聞多の遭

  • 第三章長州藩の恭順謝罪第一節禁門變後の長州藩情

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  • 一六九

注記 (30)

  • 1663,576,63,1732た。兩論を繞つて論議は何時果つべしとも見えず、四ツ半時
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