『維新史』 維新史 5 p.230

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たが、其の人を擧げたものを見れば、殆んど田安龜之助に一致してゐたのであ, 續の問題が起るに及び、靜寛院宮は亡夫の遺志なればとて、〓りに朝廷に對し, 多數を占め、議定細川護久, 之助を擧げて己が〓嗣となさんと欲してゐたと云ふ。されば茲に徳川家相, つた。併し舊幕臣を扶持するに足るべき祿高を給ふべしと云ふものが最も, 大は三百萬石より小は一萬石に至り、諸説紛々として歸著する所を知らなか, 秩祿高ノ儀ハ大〓百萬石餘モ賜ルヘキヤト、何方ニテモ私語候樣子ニ有之, て龜之助を繼嗣とせられ度しと歎願せられ、舊幕臣の衆望も亦、自ら龜之助に, 候處、全體此節慶喜一己ノ恭順聊モ動不申處ヨリ、朝廷御沙汰ノ通謝罪ノ稜, 酌して、龜之助を擧げんとしたのである。次に祿高に關する奉答書を見るに、, 歸したのであつた。是に於いて在廷の百官を始め公卿・諸侯は、孰れも之を斟, 川家の繼嗣に就いては、多くは同家の血族中にて賢良の者を選ぶべしと論じ, の如きは、, る。曩に慶應二年七月、十四代將軍家茂は將に薨去せんとするに際し、田安龜, 水戸藩に於いて謹愼せしむべしといふ論が、最も多きを占めてゐた。次に徳, 熊本藩世子、明治元年二, 月五日喜廷を護久と改む, 細川護久, の意見, 第二章江戸開城第四節關東各地の騷擾と徳川家處分, 二三一

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  • 熊本藩世子、明治元年二
  • 月五日喜廷を護久と改む

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  • 細川護久
  • の意見

  • 第二章江戸開城第四節關東各地の騷擾と徳川家處分

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  • 二三一

注記 (21)

  • 1623,534,59,2325たが、其の人を擧げたものを見れば、殆んど田安龜之助に一致してゐたのであ
  • 1278,532,62,2327續の問題が起るに及び、靜寛院宮は亡夫の遺志なればとて、〓りに朝廷に對し
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