『保古飛呂比』 保古飛呂比 3 明治1年 p.307

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し、是非に秋田の御供申さんとし、固辭すれども不聞、私の僕として上陸、舟川の輕船を命し、雨, り、爰を先度と騒動す、漸辛して秋田の船川の山影に入、始て海魚腹中の葬埋を免れし心地す、は, 晴、雲間の月秋田海を照せり、海上一里にして金川にて船を乘替、又一里行、脇本に上陸、馬を命, ゆ、捨られては無是非と存候へ共、命の限走り、舟川に歸れは、岸良・高津兩人尚陸にあり、酒肴, し、又一里にして船越に馬を乘り替、六里にして湊に著、天已に明け、急き支度の處、薩の岸良彦, 日の状態委細は岸良・高津兩人舟川にて相待相談の筈なれは、此所にて留るに不及、秋田の重役に, 上馬一疋を乞ひ受け、直に引返し、又本の十餘里を一走に罷歸、舟川近く參り候へは、蒸汽黒煙見, 左大臣に拜〓す、大山格之助も今朝出張向へ出しよし、澤公は神宮寺村へ御出軍、此城を放るゝこ, や明夜六時出帆の事ゆへ、一寸の間も休息の事不相成、一人上陸せんとす、大村藩士一人大に制止, を衝て漕出、一體ぬれ、笠はなし、寒きこと限りなし、夜已に四ツ時頃なり、夜の時雨一過、天忽, 七、長の高澤愼一に逢、事を談する間も無し、又直に乘馬、一里にして久保田學館に著、直に九條, 城、出張向にあり、諸事意外に出候得共、一日を弛候時は三千元出候約條故、如何とも不相成、近, と十餘里なれは、拜〓も不叶、醍醐殿は、津輕へ過日御出にて、御留守なり、秋田侯は決心して出, 放、足は立不申、六百餘の兵卒は、叫もあり、風を追ひ浪を呵るも有之、込入潮をくみ出すもあ, に覆沒せんとす、元より必死を期し、空しく溺死せんよりは、自裁にしかしと短刀を〓て、手は不, 卷二十四明治元年(七月), 三〇七

  • 卷二十四明治元年(七月)

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  • 三〇七

注記 (17)

  • 1406,541,57,2372し、是非に秋田の御供申さんとし、固辭すれども不聞、私の僕として上陸、舟川の輕船を命し、雨
  • 1625,540,56,2376り、爰を先度と騒動す、漸辛して秋田の船川の山影に入、始て海魚腹中の葬埋を免れし心地す、は
  • 1184,533,59,2377晴、雲間の月秋田海を照せり、海上一里にして金川にて船を乘替、又一里行、脇本に上陸、馬を命
  • 302,540,61,2374ゆ、捨られては無是非と存候へ共、命の限走り、舟川に歸れは、岸良・高津兩人尚陸にあり、酒肴
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