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人民をして死地に陷り候歟と疑はれ申候、實に天災の一と乍申、豫防の出來候者を力及ばずして此, 初め小子等兼て懇意の醫森田氏、諸方へ診察に駈廻り候内、いつしかコレラ病の傳染を受け、終に, 當縣へ一昨年コレラ病少々入込候へ共、左程流行不致候に付、斯樣に盛に被行候ても、愚民等別し, 候、母上の御病症は所謂雨疾症にて、久々に相成候得共、格別相替り候事無之候、乍〓、是又當時, 擧に爲至候は、聊か自から成せる災無きにも無之候、然るに、今年の酷熱は最も嚴しく、寒暖計も, 佛と改名致し、病院の醫も、患者と供に、コレラの陣中にて打死致し、其外醫にして傳染を受る者, 豫防にては止み不申、眞に以實功の難見ものに付、愚民等の豫防諸消毒法など不信用候も尤と被存, 百度より百十度に至り候事度々有之、只管旭日を瞋み白刃中跣足相渡り候樣の風情、御推察可被下, 至る〓容易に參り呉不申に付、若し急病の者有之候はゞ、醫に得不掛死し候樣の有さまに御坐候、, 員數些少にして、患者の多き勢と存候、嗚呼、醫者少しく、惡病の日増に盛なるは、天より縣下の, て氣にも不掛、夫れ故、此大流行に相成候歟とも被思候、係し、此病中に被入込候上は、一通りの, 故、一日に二三度も下痢被成候に付、大に心配致し居申候、, 候、七月上旬以還、縣廳よりの嚴なる諭達も毎度相見へ候へ共、始終心得違の者多く、評説に日, も有之より、自然輕々しく參り呉申さゞる樣相成る譯に候、察する所、是計りには無之、全く醫の, 不少、晝夜の別無之、巡廻に一時間も安眠を得不致由、岡村に限らず、渾て醫者は此度ペイ々々に, 卷四十四明治十二年(八月), 三二五
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- 卷四十四明治十二年(八月)
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- 三二五
注記 (17)
- 1133,612,56,2367人民をして死地に陷り候歟と疑はれ申候、實に天災の一と乍申、豫防の出來候者を力及ばずして此
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