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い天氣であったが、時折は雨も混り、風向は變り易かった。, があるが)著任する筈だと言われているが、しかしこれはまだ確實ではないこと。さらにまた、, 殿、オイエ殿竝びにサンネケ殿のところへ挨拶に行くつもりであること。, しかも全く滿足すべき状態で賜わったこと、その翌日には、同樣に三人の最高閣僚であるウタ, 同月十四日、十五日、十六日、十七日、十八日、十九日、二十日、及び二十一日變り易い, するまで監禁されていたのち)彼の息子, ら取上げられかつ沒收されたに違いないこと。また噂では前記のダイセロ殿とマテゼイモン殿, 天氣であった。, 〓同月三日、四日、五日、六日、七日、八日、九日、十日、十一日、十二日、及び十三日良, されたこと, は江戸において(彼ののちに政務を執ったダイセロ殿, 彼の同胞たちは或る島に追放, 同月二十二日長崎から、次のことを聞いた。すなわち、同地の前の知事であったオネモン殿, 暦の〔第二月〕第十五日(三月十四日に當る)に、大きな名譽を以て、立派な儀式のもとに、, は彼の財産とともに、彼か, は再度政務を執ることなく、カワチ殿一, 彼自身の領地すなわちボンゴ, か(この人は以前同地で政務を執っていたこと, とともに、腹を切ったこと。, と名乘る兩知事の到著フ, ン殿, (onnemondonne), 竹中父子は、寛永十一年二月二十ヽ, 秋里に配流された。, ○弟筑後守重信は大和ヽ, )寛永十年長崎奉行, 一人役として任命, とマテゼイ千, 郎正長, ○長崎奉行竹中釆女正, 一日淺草海禪寺において切腹した, 重義、また重次とも、, ○今村傳四, 水野河内, (matteseijmondon, 二郎某, 衞門古祐、, ○曾我又左, ○竹中源, 守信, 國〻, ○豐後, (bongho, 離任し水野, 我古祐近く, 今村正長曾, 守信著任す, 現長崎奉行, は没收, 報告, べしとの噂, 長崎よりの, 豐後の領地, の子と共に, 前長崎奉行, 竹中重義そ, 切腹す, を賜る, 一六三四年四月, 九五
割注
- 竹中父子は、寛永十一年二月二十ヽ
- 秋里に配流された。
- ○弟筑後守重信は大和ヽ
- )寛永十年長崎奉行
- 一人役として任命
- とマテゼイ千
- 郎正長
- ○長崎奉行竹中釆女正
- 一日淺草海禪寺において切腹した
- 重義、また重次とも、
- ○今村傳四
- 水野河内
- (matteseijmondon
- 二郎某
- 衞門古祐、
- ○曾我又左
- ○竹中源
- 守信
- 國〻
- ○豐後
- (bongho
頭注
- 離任し水野
- 我古祐近く
- 今村正長曾
- 守信著任す
- 現長崎奉行
- は没收
- 報告
- べしとの噂
- 長崎よりの
- 豐後の領地
- の子と共に
- 前長崎奉行
- 竹中重義そ
- 切腹す
- を賜る
柱
- 一六三四年四月
ノンブル
- 九五
注記 (60)
- 1347,583,58,1412い天氣であったが、時折は雨も混り、風向は變り易かった。
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- 1559,569,60,1756殿、オイエ殿竝びにサンネケ殿のところへ挨拶に行くつもりであること。
- 1666,570,61,2269しかも全く滿足すべき状態で賜わったこと、その翌日には、同樣に三人の最高閣僚であるウタ
- 1242,621,61,2221同月十四日、十五日、十六日、十七日、十八日、十九日、二十日、及び二十一日變り易い
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- 502,576,63,2271ら取上げられかつ沒收されたに違いないこと。また噂では前記のダイセロ殿とマテゼイモン殿
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- 926,1006,59,1294は江戸において(彼ののちに政務を執ったダイセロ殿
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