『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 3 訳1下1634年05月-1635年11月 p.26

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わせるべきものとする。, オット船一隻〓, しかし一〓重要な通知が示され得る筈であるので、上記のプトマンス閣下の更なる手紙のある, 附近で北からの嵐が彼等に吹き寄せ、そのため, 贈物を携えて上の方へ向け出發した。本日、長崎から次の知らせが來る。すなわち、ポルトガ, 同月四日通詞ファコゾが閣僚たちへの手紙ならびに總督閣下から平戸の領主への手紙及び, ル人の子孫は總べて、既婚者も、未婚者も、若きも老いも、また男も女も、今年中に出發しな, 他の船は總べて引返したものと彼等は推測した。甲板上にあった幾門かの大砲を失い、船員六, まで、コウチェンシナの貿易の繼續のため日本のゼネを買上げもしくは入手することを、見合, 名は横桁の間から船外に洗い流された。フォルモサ北端で彼等の背後に帆影を認めたため、彼, 同月三日北の風、雨天。長崎から、次の知らせを受けた。すなわち一七人の乘組んだガリ, 毎日期待されている。)とともに(コウチェンシナにある會社の商館のことにつき)一〓確實で, 等の航路を外れた僚船の一隻かと思い、大檣中帆を下げさせて同船の來るのを待った。しかし, 同船に近づいたところ、王家の旗, が、先月八日他の四隻と組んでマカ, が到著したが、同船ではカピテン・モールのロペス・ソルメント, オを出帆したところ、ペドラ・ブランカ, が認められると、彼等の航路を變じた、と。, ○サン・アントニオ, sao antonio號一, 近の島一, )オランダ國, 旗であろう, ○正しくはロポ・サルメント・デ・カルヴァリヨlopo sarmento de, carvalhoと書き、マカオ使節ダ・シルヴェイラの後任として来航した一, )廣東灣附, て蘭船を〓, 臺灣北方に, トニオ號の, 崎に入港す, 幕府參府を, メント指揮, 航海, サン・アン, 下の葡船長, ロポ・サル, 門京都に向, 肝付伯左衞, 待つ使節を, 除きポルト, ふ, く, 一六三四年九月, 二五

割注

  • ○サン・アントニオ
  • sao antonio號一
  • 近の島一
  • )オランダ國
  • 旗であろう
  • ○正しくはロポ・サルメント・デ・カルヴァリヨlopo sarmento de
  • carvalhoと書き、マカオ使節ダ・シルヴェイラの後任として来航した一
  • )廣東灣附

頭注

  • て蘭船を〓
  • 臺灣北方に
  • トニオ號の
  • 崎に入港す
  • 幕府參府を
  • メント指揮
  • 航海
  • サン・アン
  • 下の葡船長
  • ロポ・サル
  • 門京都に向
  • 肝付伯左衞
  • 待つ使節を
  • 除きポルト

  • 一六三四年九月

ノンブル

  • 二五

注記 (44)

  • 1478,559,52,552わせるべきものとする。
  • 1259,561,75,331オット船一隻〓
  • 1686,558,58,2274しかし一〓重要な通知が示され得る筈であるので、上記のプトマンス閣下の更なる手紙のある
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