『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 6 訳2下1637年02月-1638年01月 p.37

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けられたが、それは、以下に〓入された總督閣下宛ての手紙、養子縁組の證書、及び渡航許可, きますが、それは以下の如く我が國の現状を示すためであります。すなわち當地では良き秩, 書の譯文によって見られる通りである。本日また、商務員ウィレム・フルステーヘンの長崎か, えられ、その旨記した證書と、官吏用の衣服、及び國王の旗と渡航許可書すなわち通行證を授, 序が明確に維持されております。我々は戰爭に際しては愼重かつ勇敢で、警備においては緊, の日本人であることを知った。夕刻ごろフロイト船ペッテン號が平戸に投錨した。, 總督アントニオ・ファン・ディーメンに宛てたトンキン國王の手紙の譯文〓, 送られたが、ほぼ四〇歳で、シフ。ィオイェ, と名乘る生れつき, らの手紙により、同地で昨年多くの困難に遇い、トード・ロス・サンクトス, にこの手紙を書, に居たローマのキリスト教の宣教師が、ある百姓家から牢に, は, ポ。ゼイウォ, 八日の記事に續く。, 文書を全く闕き、八月, いとも謹しんで烏蘭國王のセッシェ・クァン〓制たるキシオ, 朕れ安南國玉sツク七ツシー〓〓帥統ボ。ゼセ。イウォ, ○次兵衞、アウグスティノ會パードレ・ト, マス・デ・サン・アウグスティノのこと、, ○正しくはトードス・, ○f本は以下, 似合し、譯出に, の四通の引用, os santosすなわち諸聖人の名をもつキ, 號である」, ○底本〓外に「これ, 重臣鄭氏がこれを擁して國の北半を、重臣玩氏は順化に據ってその南半を領して對立していた, )原文はg本と, オス・サントスtodos, リシタン寺。今の春徳寺の地にあった。, と註記す, は高貴なる王の稱, (coninck van annam, sijto,kockussesij), 將, 當っては漢文の國書、名村八左衛門和解を參照した。なお、このころ安南國黎王朝は東京により, ○貴, ○文清, (coninck van annam, sijto, kockussesi)のソ亡巾充(boijnceijwo), 師次兵衞投, 日本人宣教, 獄さる, ヘンの手紙, ペッテン號, 〓戸に到著, 明書を受く, なり渡航〓, フルステー, 安南國民の, 東京國王文, 資質, 王の養子と, 清王書状譯, 文, す, 六三七年八月, 三六

割注

  • ○次兵衞、アウグスティノ會パードレ・ト
  • マス・デ・サン・アウグスティノのこと、
  • ○正しくはトードス・
  • ○f本は以下
  • 似合し、譯出に
  • の四通の引用
  • os santosすなわち諸聖人の名をもつキ
  • 號である」
  • ○底本〓外に「これ
  • 重臣鄭氏がこれを擁して國の北半を、重臣玩氏は順化に據ってその南半を領して對立していた
  • )原文はg本と
  • オス・サントスtodos
  • リシタン寺。今の春徳寺の地にあった。
  • と註記す
  • は高貴なる王の稱
  • (coninck van annam, sijto,kockussesij)
  • 當っては漢文の國書、名村八左衛門和解を參照した。なお、このころ安南國黎王朝は東京により
  • ○貴
  • ○文清
  • (coninck van annam, sijto, kockussesi)のソ亡巾充(boijnceijwo)

頭注

  • 師次兵衞投
  • 日本人宣教
  • 獄さる
  • ヘンの手紙
  • ペッテン號
  • 〓戸に到著
  • 明書を受く
  • なり渡航〓
  • フルステー
  • 安南國民の
  • 東京國王文
  • 資質
  • 王の養子と
  • 清王書状譯

  • 六三七年八月

ノンブル

  • 三六

注記 (57)

  • 1678,590,58,2287けられたが、それは、以下に〓入された總督閣下宛ての手紙、養子縁組の證書、及び渡航許可
  • 426,641,58,2242きますが、それは以下の如く我が國の現状を示すためであります。すなわち當地では良き秩
  • 1576,589,59,2288書の譯文によって見られる通りである。本日また、商務員ウィレム・フルステーヘンの長崎か
  • 1782,590,58,2285えられ、その旨記した證書と、官吏用の衣服、及び國王の旗と渡航許可書すなわち通行證を授
  • 321,653,58,2228序が明確に維持されております。我々は戰爭に際しては愼重かつ勇敢で、警備においては緊
  • 1154,605,66,2013の日本人であることを知った。夕刻ごろフロイト船ペッテン號が平戸に投錨した。
  • 841,760,70,1836總督アントニオ・ファン・ディーメンに宛てたトンキン國王の手紙の譯文〓
  • 1260,597,64,1004送られたが、ほぼ四〇歳で、シフ。ィオイェ
  • 1267,2443,51,431と名乘る生れつき
  • 1471,600,64,1851らの手紙により、同地で昨年多くの困難に遇い、トード・ロス・サンクトス
  • 536,2509,51,373にこの手紙を書
  • 1370,1380,54,1488に居たローマのキリスト教の宣教師が、ある百姓家から牢に
  • 631,2448,76,68
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  • 526,920,69,1491いとも謹しんで烏蘭國王のセッシェ・クァン〓制たるキシオ
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  • 1144,2628,42,249の四通の引用
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  • 667,2518,42,363○底本〓外に「これ
  • 723,759,46,1836重臣鄭氏がこれを擁して國の北半を、重臣玩氏は順化に據ってその南半を領して對立していた
  • 877,2609,41,268)原文はg本と
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  • 513,654,40,172と註記す
  • 623,2520,40,362は高貴なる王の稱
  • 689,794,34,704(coninck van annam, sijto,kockussesij)
  • 517,2416,37,47
  • 767,755,47,1879當っては漢文の國書、名村八左衛門和解を參照した。なお、このころ安南國黎王朝は東京により
  • 566,2421,37,83○貴
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  • 1585,326,37,202フルステー
  • 437,326,40,207安南國民の
  • 868,321,41,213東京國王文
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