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平戸の領主の家へ赴いた。閣下, により週に二回の彌撒が行われていたが、この少年は彼等の主要人物でしかも首長であ, びにその近隣では多數の死體が浮いた由。征服以前には一六ないし一七歳の肥後生まれの少年, びサモン殿が商館を檢分しに來たときは、彼等閣下等は非常に滿足を得た。アリマの叛亂軍の, 帝の陣地の側からも農民の抵抗によってのみならず彼等自身の兵員や銃砲により〓〓された, に刺して梟しものにされた。兩軍の死體は海中に投ぜられたため、海岸一帶、長崎の灣内、竝, 優に四〇〇〇○人ぐらいはあったが、(三人の主要人物のうちのひとりで、畫家で、以前は, 我々が歸薯したさい、口頭で當地に起ったことを聞き知った。すなわち、大官インシン殿及, が、それはこの地が凡ゆる方角から攻撃され、しかも、かなりの無秩序とその上彼等自身の兵員, に向けて發射があったため、もちこたえられず、支えられない状態に陷ったからだとの由。最も, 二十四日朝八時ごろ(神の恩寵により)全員元氣で平戸に到著した。プレシデント閣下は直ちに, 〓聖畫を模寫してその生計を立てていて、このたびは生け捕りにされて江戸へ送られた者, 城塞の征壓〓〓ぐも同じく次のことが明ら〓〓。すなわち、そのなかの人々は, -を除けば)總べてが殺され、また首を刎ねられた由、また、大部分は外から、すなわち皇, 主要な人々の首四つは、約四〇〇○の他の人々の首とともに長崎に運ばれ、そして若干は棒に, に宮廷での經驗を述べるためである。, 一六三八年六月, 城塞の征壓〓〓, ○松浦, 2鎭信, 繪師山, 田作, ○南蠻, ○天草四, 南蠻繪師山, 有馬の叛徒, 郎時貞, 田右衞門作, 右衞門, 田氏鐵商館, 四萬, に投ず, 第を陳ぶ, 參府中の平, 出來事, 戸及有馬の, 死骸を海中, 首長の少年, 鎭信を訪問, 大草時貞彌, 撒を行ふ, 商館長松浦, し參府の次, 叛徒同士討, 松平信綱戸, 江戸へ護送, を視察す, す, さる, 叛徒の首級, 四萬, を長崎に梟, す, 田氏鐵商館, 一六三八年六月, 二二九
割注
- ○松浦
- 2鎭信
- 繪師山
- 田作
- ○南蠻
- ○天草四
- 南蠻繪師山
- 有馬の叛徒
- 郎時貞
- 田右衞門作
- 右衞門
- 田氏鐵商館
- 四萬
頭注
- に投ず
- 第を陳ぶ
- 參府中の平
- 出來事
- 戸及有馬の
- 死骸を海中
- 首長の少年
- 鎭信を訪問
- 大草時貞彌
- 撒を行ふ
- 商館長松浦
- し參府の次
- 叛徒同士討
- 松平信綱戸
- 江戸へ護送
- を視察す
- す
- さる
- 叛徒の首級
- 四萬
- を長崎に梟
- 田氏鐵商館
柱
- 一六三八年六月
ノンブル
- 二二九
注記 (56)
- 1692,597,56,758平戸の領主の家へ赴いた。閣下
- 313,778,62,2083により週に二回の彌撒が行われていたが、この少年は彼等の主要人物でしかも首長であ
- 416,583,64,2287びにその近隣では多數の死體が浮いた由。征服以前には一六ないし一七歳の肥後生まれの少年
- 1470,593,68,2278びサモン殿が商館を檢分しに來たときは、彼等閣下等は非常に滿足を得た。アリマの叛亂軍の
- 948,597,63,2278帝の陣地の側からも農民の抵抗によってのみならず彼等自身の兵員や銃砲により〓〓された
- 522,597,63,2273に刺して梟しものにされた。兩軍の死體は海中に投ぜられたため、海岸一帶、長崎の灣内、竝
- 1264,584,63,2295優に四〇〇〇○人ぐらいはあったが、(三人の主要人物のうちのひとりで、畫家で、以前は
- 1575,639,68,2242我々が歸薯したさい、口頭で當地に起ったことを聞き知った。すなわち、大官インシン殿及
- 841,586,68,2295が、それはこの地が凡ゆる方角から攻撃され、しかも、かなりの無秩序とその上彼等自身の兵員
- 732,602,62,2271に向けて發射があったため、もちこたえられず、支えられない状態に陷ったからだとの由。最も
- 1791,605,63,2271二十四日朝八時ごろ(神の恩寵により)全員元氣で平戸に到著した。プレシデント閣下は直ちに
- 1148,539,93,2211〓聖畫を模寫してその生計を立てていて、このたびは生け捕りにされて江戸へ送られた者
- 1366,582,73,2303城塞の征壓〓〓ぐも同じく次のことが明ら〓〓。すなわち、そのなかの人々は
- 1054,705,64,2177-を除けば)總べてが殺され、また首を刎ねられた由、また、大部分は外から、すなわち皇
- 627,596,64,2277主要な人々の首四つは、約四〇〇○の他の人々の首とともに長崎に運ばれ、そして若干は棒に
- 1687,1492,54,885に宮廷での經驗を述べるためである。
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