『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 11 訳4上1639年02月-1639年閏11月 p.67

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その證據たり得るであろう。他方、殿下達は、ポルトガル人が日本から追放されたと知った時, には、シナ人は今以上にやって來るであろうことを御考慮頂きたい。何故ならば、彼等は生絲, 賣り、その航海を終えて歸った。また殿下達は、さきに話題となった乾物や藥種が、大部分は, われなかったが、この時、どれ程多くのシナ・ジャンク船が日本の各地に來航し、ポルトガル人, と絹織物をシナから持ち出して、代りに銀を輸入しなければならず、それなしには彼等は立ち行, シナ人によって當地に齎され、ポルトガル人は少ししか持って來なかったことを御承知願いた, の積荷と乘組員諸共に、長崎港外で燒かせた時、ポルトガル人は懼れて、その後二年間は再び現, が日頃齎していた素晴しい絹織物を齎したことか。その年、三百人以上を乘せたカントンの大, かなくなるからである。そのことは既に經驗が示している。殿下達も今なお御記憶にあるよう, きなジャンク船一隻が、非常に高價な積荷を載せて五嶋領に來たが、彼等は同地でその積荷を, い。殿下達は、これら總べてを辛抱強く聞き、互いにこの件を熟考した末、ついに閣僚讚岐殿が, に違いないことについては、どのような證言も、證明書も無用である。ただ我々の行動のみが, 再度我々に次のように話した。すなわち、我々, をそ, に、陛下がアンドレア・ペッソアと呼ばれるスペインのカラック船, は、ポルトガル人が追放されたならば、貴, 再度我々に次のように話した。すなわち、我々都。}は、ポルトガル人が追放されたならば、貴, 一六〇九年長崎に來航した葡萄牙船ノッサ・セニョーラ・ダ・グラッサ號の司令官の名にして、筆者が西班牙, 船の名とするは誤り。同船は一六一〇年一月、有馬晴信に依り烙沈せられ、ペッソアは船と運命を共にした。, しessoaアンドレ・ペッソア、即ち, ○アンドレア・ペッソアはandre, 航を促すべ, 中國船の來, 葡人追放は, 廣東船五嶋, に到る, 感を述ぶ, 酒井忠勝所, ペッソア, アンドレ・, し, ○殿下, (verseeckeringe) (attestatie), 一六三九年五月, 六七, 一六三九年五月

割注

  • 一六〇九年長崎に來航した葡萄牙船ノッサ・セニョーラ・ダ・グラッサ號の司令官の名にして、筆者が西班牙
  • 船の名とするは誤り。同船は一六一〇年一月、有馬晴信に依り烙沈せられ、ペッソアは船と運命を共にした。
  • しessoaアンドレ・ペッソア、即ち
  • ○アンドレア・ペッソアはandre

頭注

  • 航を促すべ
  • 中國船の來
  • 葡人追放は
  • 廣東船五嶋
  • に到る
  • 感を述ぶ
  • 酒井忠勝所
  • ペッソア
  • アンドレ・

  • ○殿下
  • (verseeckeringe) (attestatie)
  • 一六三九年五月

ノンブル

  • 六七
  • 一六三九年五月

注記 (36)

  • 1655,603,58,2280その證據たり得るであろう。他方、殿下達は、ポルトガル人が日本から追放されたと知った時
  • 1552,602,57,2286には、シナ人は今以上にやって來るであろうことを御考慮頂きたい。何故ならば、彼等は生絲
  • 612,593,57,2287賣り、その航海を終えて歸った。また殿下達は、さきに話題となった乾物や藥種が、大部分は
  • 924,604,56,2280われなかったが、この時、どれ程多くのシナ・ジャンク船が日本の各地に來航し、ポルトガル人
  • 1445,599,59,2291と絹織物をシナから持ち出して、代りに銀を輸入しなければならず、それなしには彼等は立ち行
  • 508,604,56,2278シナ人によって當地に齎され、ポルトガル人は少ししか持って來なかったことを御承知願いた
  • 1029,599,58,2292の積荷と乘組員諸共に、長崎港外で燒かせた時、ポルトガル人は懼れて、その後二年間は再び現
  • 819,576,56,2307が日頃齎していた素晴しい絹織物を齎したことか。その年、三百人以上を乘せたカントンの大
  • 1344,601,55,2282かなくなるからである。そのことは既に經驗が示している。殿下達も今なお御記憶にあるよう
  • 716,606,57,2274きなジャンク船一隻が、非常に高價な積荷を載せて五嶋領に來たが、彼等は同地でその積荷を
  • 403,611,58,2266い。殿下達は、これら總べてを辛抱強く聞き、互いにこの件を熟考した末、ついに閣僚讚岐殿が
  • 1755,615,57,2264に違いないことについては、どのような證言も、證明書も無用である。ただ我々の行動のみが
  • 298,599,55,1128再度我々に次のように話した。すなわち、我々
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  • 1115,591,49,2146船の名とするは誤り。同船は一六一〇年一月、有馬晴信に依り烙沈せられ、ペッソアは船と運命を共にした。
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