『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 11 訳4上1639年02月-1639年閏11月 p.69

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

とするに違いない。それを行うのには、何等の困難も出費も考えないであろう。, 考えであった。しかし、數人はこの考えに異議を唱えたが、結局、各自が自分の考えを述べ、, により意圖的に行われるであろう。以前、日本のジャンク船の渡航が、まだ普通に行われてい, 可證を與えるべきではなく、それは、外國人がその手でこの國民を侵害せぬためである、との, た時には、そのようなことは行われなかった。だが、次のことを考慮して頂きたい。たとえカ, か、その苦い經驗が彼等の激情を抑えていた。しかし、今やそれを抑制せねばならない理由は, 閣僚達は互いにこの件について熟考した。大部分は國外へ渡航する日本のジャンク船には許, れた時、殿下達の命令で五隻のガリオット船が三年間嚴しく抑留され、どれ程の損害を蒙った, 何も殘っていない。彼等は無論復〓『を行い、日本國民に對する彼等の燃えさかる怒を晴らそう, が、シャム沖で彼のジャンク船をカスティリャ人により燒討ちさ, を、ぬかりなく監視することができ、(もし間違っていたら訂正するが)それはスペイン國王, テイリヤ人は、日本から追放されても、彼等は、彼等の仲間のポルトガル人が今なお日本に來, 市長、作右衞門, ることを許され、それによって彼等も利盆を得ていた事を考慮せねばならず、そして、長崎の, 〓邏へ航海することにならう。その地では、ポルトガル人が彼等の往き歸り, 嶋々を通過したのち、彼等が日頃渡航していた地方、すなわち、トンキンル、交趾シナ、カ, やシャム, ィア, 一六三九年五月, burgem「 in nangasacque), ○長崎町年寄高, 木作右衞門, 〇暹, ○束埔, ステ, (gevoechlijck waernemen connen), 過去の經緯, burgem「 in nangasacque), 視下にあり, 年寄衆〓ね, 依る攻撃は, 日本人の海, 報復, 西班牙人に, する幕府の, 交趾シナ, 必至, 外渡航を斷, の印度シナ, 日本船既往, 柬埔塞, 船燒討に對, 念す, 暹羅, 木作右衞門, 東京, 水域は今や, 西葡船の監, 暹羅渡航高, 過去の經緯, 視下にあり, 一六三九年五月, 六九

割注

  • ○長崎町年寄高
  • 木作右衞門
  • 〇暹
  • ○束埔
  • ステ
  • (gevoechlijck waernemen connen)
  • 過去の經緯
  • burgem「 in nangasacque)
  • 視下にあり

頭注

  • 年寄衆〓ね
  • 依る攻撃は
  • 日本人の海
  • 報復
  • 西班牙人に
  • する幕府の
  • 交趾シナ
  • 必至
  • 外渡航を斷
  • の印度シナ
  • 日本船既往
  • 柬埔塞
  • 船燒討に對
  • 念す
  • 暹羅
  • 木作右衞門
  • 東京
  • 水域は今や
  • 西葡船の監
  • 暹羅渡航高
  • 過去の經緯
  • 視下にあり

  • 一六三九年五月

ノンブル

  • 六九

注記 (53)

  • 613,602,66,1923とするに違いない。それを行うのには、何等の困難も出費も考えないであろう。
  • 298,605,72,2251考えであった。しかし、數人はこの考えに異議を唱えたが、結局、各自が自分の考えを述べ、
  • 1454,593,67,2276により意圖的に行われるであろう。以前、日本のジャンク船の渡航が、まだ普通に行われてい
  • 404,601,70,2275可證を與えるべきではなく、それは、外國人がその手でこの國民を侵害せぬためである、との
  • 1351,597,63,2276た時には、そのようなことは行われなかった。だが、次のことを考慮して頂きたい。たとえカ
  • 823,605,68,2278か、その苦い經驗が彼等の激情を抑えていた。しかし、今やそれを抑制せねばならない理由は
  • 510,650,69,2238閣僚達は互いにこの件について熟考した。大部分は國外へ渡航する日本のジャンク船には許
  • 932,602,68,2277れた時、殿下達の命令で五隻のガリオット船が三年間嚴しく抑留され、どれ程の損害を蒙った
  • 718,594,69,2291何も殘っていない。彼等は無論復〓『を行い、日本國民に對する彼等の燃えさかる怒を晴らそう
  • 1043,1311,60,1566が、シャム沖で彼のジャンク船をカスティリャ人により燒討ちさ
  • 1553,596,66,2279を、ぬかりなく監視することができ、(もし間違っていたら訂正するが)それはスペイン國王
  • 1246,651,67,2236テイリヤ人は、日本から追放されても、彼等は、彼等の仲間のポルトガル人が今なお日本に來
  • 1036,598,54,372市長、作右衞門
  • 1141,591,70,2285ることを許され、それによって彼等も利盆を得ていた事を考慮せねばならず、そして、長崎の
  • 1657,1060,70,1810〓邏へ航海することにならう。その地では、ポルトガル人が彼等の往き歸り
  • 1759,584,67,2112嶋々を通過したのち、彼等が日頃渡航していた地方、すなわち、トンキンル、交趾シナ、カ
  • 1660,838,56,212やシャム
  • 1657,600,62,103ィア
  • 197,838,46,286一六三九年五月
  • 1099,594,42,436burgem「 in nangasacque)
  • 1063,999,43,298○長崎町年寄高
  • 1019,991,43,216木作右衞門
  • 1672,1054,55,82〇暹
  • 1683,702,39,132○束埔
  • 1246,607,44,90ステ
  • 1603,707,37,567(gevoechlijck waernemen connen)
  • 1243,328,45,216過去の經緯
  • 1100,595,42,435burgem「 in nangasacque)
  • 1370,327,41,215視下にあり
  • 515,336,42,215年寄衆〓ね
  • 680,334,41,215依る攻撃は
  • 471,338,42,217日本人の海
  • 961,331,41,84報復
  • 724,335,41,212西班牙人に
  • 1006,332,39,211する幕府の
  • 1711,325,45,167交趾シナ
  • 636,335,42,83必至
  • 426,337,43,221外渡航を斷
  • 1502,332,41,207の印度シナ
  • 1550,328,39,217日本船既往
  • 1657,325,41,127柬埔塞
  • 1048,331,41,218船燒討に對
  • 382,337,39,87念す
  • 1601,325,40,83暹羅
  • 1090,332,42,214木作右衞門
  • 1770,324,41,83東京
  • 1461,328,40,218水域は今や
  • 1414,328,40,217西葡船の監
  • 1137,328,41,218暹羅渡航高
  • 1243,328,45,218過去の經緯
  • ... +3 more

類似アイテム