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ロッホ號にはさきに述べた祖國の積荷(これを閣下達は、マウリシウスの黒檀の積荷とともに、, 絶えずその到著を期待している)が殘っている。, アにおいても、敵を持つこととなった。ポルトガルの補給船は(二隻の粗末な船から成るが), していないので)重大な話題となっている。なお、スヒップ船エンクハイゼン號とフライト船, 安著については、(ブレダ號が十二月九日に喜望峰を出帆しているのに、同船は未だ同地に到著, 封〓苦しい航海を行い、百五十人の人員を失い、非常に遲れて、一六三八年十一月十九日にゴアの, に向かって航海していた。六隻のガリウーン船は砂洲においても、ゴ, 砂洲の前面に投錨した。しかし、その時にはカラック船オリフェラス號は十月一日に積荷を滿, は、バタフィアの高官達の意に反して、長い, 載してリスボーナ}〓, はかなりの補給船をゴアか, らセイロンに送った由である。ヤハト船ファルク號は、セイロンへ同地の國王の使節, アントニオ・カーン閣下, を送り、司令官コステル, その時には未だ現われておらず、しかも副玉〓び〓on pro〓 s〓, ○エンクハイゼン號は一六三九年四, 月二十五日バタフィアに到著した。, ○リスボ, テルナテの監察官に任ぜられ、同年バタフィアにて歿す。, ディアの土侯の, 三年迄モルッカ、アンボイナ、バンダの長官を歴任、四八年, トガル要塞を攻略、一六三九年九月歸國船團を指揮して一時歸國、翌年より一六四, 使節を指すか, ○東印度評議會員外參事。一六三八年十二隻の船隊を指揮してトリンコマリのポル, アlisboa, ルナテ遠征に司令官として從軍、セラム嶋ルクセラ要塞を攻略した、翌三八年初、ウェステルヴォルト麾下に副提督, 一旦歸國の後一六三六年十月、十六隻の船團を率いてバタフィアに著き、翌三七年初、總督ファン・ディーメンのテ, ートに生る。夙に一六三四年以前、商務員として東印度會社に勤務, 嶋中部カン, ○名はウィルレム・ヤコブスゾーンwillem jacobsz .、アッケルスロ, としてゴア、セイロンの攻撃に從い、セイロン嶋バテ〓コラ陷落後同地に守備隊長として留まり、一六四〇, ○セイロン, ヴァdom pedro da silva, 年三月ゴール要塞を攻略、同嶋に於けるオランダ城塞副長官に任ぜられたが、同年八月土民に殺害された。, (commanceur coster), 〇ドン・ペドロ・ダシル, カーン, ボアに向ふ, ラス號リス, ントニオ・, 員外參事ア, 葡船オリベ, カーン, 一六三九年七月, 一二三
割注
- ○エンクハイゼン號は一六三九年四
- 月二十五日バタフィアに到著した。
- ○リスボ
- テルナテの監察官に任ぜられ、同年バタフィアにて歿す。
- ディアの土侯の
- 三年迄モルッカ、アンボイナ、バンダの長官を歴任、四八年
- トガル要塞を攻略、一六三九年九月歸國船團を指揮して一時歸國、翌年より一六四
- 使節を指すか
- ○東印度評議會員外參事。一六三八年十二隻の船隊を指揮してトリンコマリのポル
- アlisboa
- ルナテ遠征に司令官として從軍、セラム嶋ルクセラ要塞を攻略した、翌三八年初、ウェステルヴォルト麾下に副提督
- 一旦歸國の後一六三六年十月、十六隻の船團を率いてバタフィアに著き、翌三七年初、總督ファン・ディーメンのテ
- ートに生る。夙に一六三四年以前、商務員として東印度會社に勤務
- 嶋中部カン
- ○名はウィルレム・ヤコブスゾーンwillem jacobsz .、アッケルスロ
- としてゴア、セイロンの攻撃に從い、セイロン嶋バテ〓コラ陷落後同地に守備隊長として留まり、一六四〇
- ○セイロン
- ヴァdom pedro da silva
- 年三月ゴール要塞を攻略、同嶋に於けるオランダ城塞副長官に任ぜられたが、同年八月土民に殺害された。
- (commanceur coster)
- 〇ドン・ペドロ・ダシル
- カーン
頭注
- ボアに向ふ
- ラス號リス
- ントニオ・
- 員外參事ア
- 葡船オリベ
- カーン
柱
- 一六三九年七月
ノンブル
- 一二三
注記 (45)
- 1538,601,57,2272ロッホ號にはさきに述べた祖國の積荷(これを閣下達は、マウリシウスの黒檀の積荷とともに、
- 1437,587,54,1165絶えずその到著を期待している)が殘っている。
- 805,589,60,2248アにおいても、敵を持つこととなった。ポルトガルの補給船は(二隻の粗末な船から成るが)
- 1643,595,57,2283していないので)重大な話題となっている。なお、スヒップ船エンクハイゼン號とフライト船
- 1747,592,59,2289安著については、(ブレダ號が十二月九日に喜望峰を出帆しているのに、同船は未だ同地に到著
- 1118,390,62,2475封〓苦しい航海を行い、百五十人の人員を失い、非常に遲れて、一六三八年十一月十九日にゴアの
- 911,1241,57,1619に向かって航海していた。六隻のガリウーン船は砂洲においても、ゴ
- 1012,577,63,2293砂洲の前面に投錨した。しかし、その時にはカラック船オリフェラス號は十月一日に積荷を滿
- 1223,1795,56,1069は、バタフィアの高官達の意に反して、長い
- 906,581,83,464載してリスボーナ}〓
- 703,2197,54,673はかなりの補給船をゴアか
- 599,585,60,2077らセイロンに送った由である。ヤハト船ファルク號は、セイロンへ同地の國王の使節
- 1332,641,56,597アントニオ・カーン閣下
- 499,901,52,584を送り、司令官コステル
- 697,584,82,1601その時には未だ現われておらず、しかも副玉〓び〓on pro〓 s〓
- 1458,1789,46,695○エンクハイゼン號は一六三九年四
- 1417,1789,44,670月二十五日バタフィアに到著した。
- 945,1032,41,189○リスボ
- 1211,584,45,1107テルナテの監察官に任ぜられ、同年バタフィアにて歿す。
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