『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 11 訳4上1639年02月-1639年閏11月 p.138

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いたから)船倉に補充し、しかるのちに當地へ向かう豫定であった。しかるに、同船の指揮官達, により、できる限りの努力が拂われ、そして、この航海を會社のために役立て、彼等個々人の, とである。, 名譽となるよう、樣々な相談が(これは、この目的のために船員會議によって行われた決議の寫, しに詳しく見られる如くであるが)行われたにも拘らず、ピスカドール諸嶋への航海を達成せず, し、ピスカドール諸嶋でシナ商品を(當地北方地域向けのヨーロッパの毛織物は既に積み込んで, り、夕刻その通り行われた。夜になってこれが〓って來て、次のことを知った。すなわち、その, 上記のスヒップ船バンダ號により、總督閣下竝びに東インド評議會からの手紙を受取ったが、, それには、とりわけ次のことが我々に傳えられている。すなわち、本年、イギリス船またはデ, が、力と財力に不足することがなければ、日, 本における我々のシャムやカンボディア貿易に面倒を引き起こす基となることは確實である。, 船はスヒップ船バンダ號で、去る七月一日にバタフィアの碇泊地からタイオワンに向けて出帆, に、我々の高官達には非常に不利なことではあったが、日本へ向けて航海して來た、とのこ, ンマーク船が日本に〔來る〕見込みはない。しかし、バレント・ペッサルト, 一六三九年八月, 務して商務助手より下級商務員に進んだ。のち會社を退き、自由市民としてバタフィアに居住し、日本貿易に從事し, た。一旦歸國ののち、デンマーク東インド會社に入り、一六三六年コロマンデルのトランクバールtrancubarの商館長, ○是日の條、b本以, ○もとオランダ東インド會社, 下の記載を闕く。, 員、一六二二年頃澎湖嶋に勤, を勤めた。一六四四年、日本渡航を企てたが、オランダ船に捕え, られ、バタフィアに連行され、釋放ののち翌年マニラに歿する、, に。一旦歸國ののち、デンマーク東インド會社に入り、一六三六年コロマンデルのトランクバールtrancubarの商館〓, 務して商務勘手より下級商務員に進んだ。のち會社を退き、自由市民としてバタフィアに居住し、日本貿易に從事し, に寄港する, 事を得ず, 種書翰を齎, 途中澎湖嶋, バンダ號各, 其内容, 在トランク, 督書翰, 商館長宛總, 船の動向, バール丁抹, 内浦に到る, バンダ號河, 商館長バレ, 英國船丁抹, す, ント・ペッ, サルトの動, 一六三九年八月, 一三八

割注

  • ○是日の條、b本以
  • ○もとオランダ東インド會社
  • 下の記載を闕く。
  • 員、一六二二年頃澎湖嶋に勤
  • を勤めた。一六四四年、日本渡航を企てたが、オランダ船に捕え
  • られ、バタフィアに連行され、釋放ののち翌年マニラに歿する、
  • に。一旦歸國ののち、デンマーク東インド會社に入り、一六三六年コロマンデルのトランクバールtrancubarの商館〓
  • 務して商務勘手より下級商務員に進んだ。のち會社を退き、自由市民としてバタフィアに居住し、日本貿易に從事し

頭注

  • に寄港する
  • 事を得ず
  • 種書翰を齎
  • 途中澎湖嶋
  • バンダ號各
  • 其内容
  • 在トランク
  • 督書翰
  • 商館長宛總
  • 船の動向
  • バール丁抹
  • 内浦に到る
  • バンダ號河
  • 商館長バレ
  • 英國船丁抹
  • ント・ペッ
  • サルトの動

  • 一六三九年八月

ノンブル

  • 一三八

注記 (45)

  • 1479,606,62,2275いたから)船倉に補充し、しかるのちに當地へ向かう豫定であった。しかるに、同船の指揮官達
  • 1374,598,62,2272により、できる限りの努力が拂われ、そして、この航海を會社のために役立て、彼等個々人の
  • 967,593,50,223とである。
  • 1268,589,66,2287名譽となるよう、樣々な相談が(これは、この目的のために船員會議によって行われた決議の寫
  • 1164,597,62,2279しに詳しく見られる如くであるが)行われたにも拘らず、ピスカドール諸嶋への航海を達成せず
  • 1585,601,61,2274し、ピスカドール諸嶋でシナ商品を(當地北方地域向けのヨーロッパの毛織物は既に積み込んで
  • 1793,590,60,2279り、夕刻その通り行われた。夜になってこれが〓って來て、次のことを知った。すなわち、その
  • 850,636,64,2229上記のスヒップ船バンダ號により、總督閣下竝びに東インド評議會からの手紙を受取ったが、
  • 747,594,60,2278それには、とりわけ次のことが我々に傳えられている。すなわち、本年、イギリス船またはデ
  • 432,1823,54,1051が、力と財力に不足することがなければ、日
  • 327,594,63,2244本における我々のシャムやカンボディア貿易に面倒を引き起こす基となることは確實である。
  • 1690,604,58,2273船はスヒップ船バンダ號で、去る七月一日にバタフィアの碇泊地からタイオワンに向けて出帆
  • 1061,608,61,2259に、我々の高官達には非常に不利なことではあったが、日本へ向けて航海して來た、とのこ
  • 641,593,67,1724ンマーク船が日本に〔來る〕見込みはない。しかし、バレント・ペッサルト
  • 1909,823,45,290一六三九年八月
  • 565,581,51,2291務して商務助手より下級商務員に進んだ。のち會社を退き、自由市民としてバタフィアに居住し、日本貿易に從事し
  • 518,587,53,2283た。一旦歸國ののち、デンマーク東インド會社に入り、一六三六年コロマンデルのトランクバールtrancubarの商館長
  • 991,833,44,388○是日の條、b本以
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  • 948,834,41,319下の記載を闕く。
  • 623,2308,45,568員、一六二二年頃澎湖嶋に勤
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