『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 11 訳4上1639年02月-1639年閏11月 p.195

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從って、貴下達には、説明しても無駄なことである、と答えるのみであった由。, 出した。このような總べての苦痛の間、彼は絶えず、その信仰について尋ねられたが、これに, は次の事を知った。第一に、平戸の領主からは、こう書いて來た。すなわち、本年、陛下からプレ, を破壞し、或いは占領して、彼等のものとして領有するような方策を實行するように。そうす, れ、緩々と火が著けられた。このため、彼の〓腑は、彼が死に至る以前に、殆ど身體から飛び, 對して彼は、ただ、貴下達には、これらの事柄を了解することも、理解することもできない。, 拷問を受けた。凡ゆる拷問が彼に課せられたのち、彼の裸の腹部に、乾いた薪木の小片が置か, の手紙を受取った。さきに我々が閣下達に宛てて書いた手紙に對するこれらの返書から、我々, の願いにより、閣僚達, シデント・カロン閣下に賜わった銀については、上記の閣下〓」, 江戸で死に至るまで呵責を受け、, れば、この國への奉仕にもなり、皇。帝陛下を滿足させるに違いない、と傳えるように、と。, また上記の通詞から、平戸の領主、閣僚の内匠殿と太田備中殿竝びに使節兼松彌五左衞門殿, で捕えられ、最近(〓, また、ベキ、もしくはキべと稱する宣教師, 夏、政宗王領, は、この, に鄭重な謝意を表した。さらに、各自に一人ずづ、閣下〓〓のに宛てた閣, の手紙の, に宛てた閣, 〇プレシデン, 其情景夏、政宗王領〓, ○平戸の, ン仙臺の領國を指す, )伊達政宗の所領、即, ス會に入る。一六二二年迄ローマに滯在し、一六二五年澳門に歸著、一六三〇年マニラを經て日本に歸國す。, あろう。一五八七年の生まれ。イエズス會の同宿となり、カス, ト・カロン。, 七月四日。, ○プレシデン, イ(可水?)と號する。一六二〇年十一月十五日ローマのラテラノ教會に於いて司祭に〓階せられ、〓エズ, ○一六三九年, 〇パードレ・ペドロ・キべ(岐部)padre pedro kibe s.j.で, ('t conincrijck massamne), ス會に入る、, ト・カロン。, 殉教す, 日本人宣教, 師岐部神父, 利右衞門江, 戸より松浦, 鎭信牧野信, 成太田資宗, 兼松正直の, 状の要旨, 松浦鎭信書, 書状を持參, す, 商館長の謝, 其情景, 一六三九年十一月, 一九五, 一六三九年十一月

割注

  • ン仙臺の領國を指す
  • )伊達政宗の所領、即
  • ス會に入る。一六二二年迄ローマに滯在し、一六二五年澳門に歸著、一六三〇年マニラを經て日本に歸國す。
  • あろう。一五八七年の生まれ。イエズス會の同宿となり、カス
  • ト・カロン。
  • 七月四日。
  • ○プレシデン
  • イ(可水?)と號する。一六二〇年十一月十五日ローマのラテラノ教會に於いて司祭に〓階せられ、〓エズ
  • ○一六三九年
  • 〇パードレ・ペドロ・キべ(岐部)padre pedro kibe s.j.で
  • ('t conincrijck massamne)
  • ス會に入る、

頭注

  • 殉教す
  • 日本人宣教
  • 師岐部神父
  • 利右衞門江
  • 戸より松浦
  • 鎭信牧野信
  • 成太田資宗
  • 兼松正直の
  • 状の要旨
  • 松浦鎭信書
  • 書状を持參
  • 商館長の謝
  • 其情景

  • 一六三九年十一月

ノンブル

  • 一九五
  • 一六三九年十一月

注記 (53)

  • 811,597,61,1920從って、貴下達には、説明しても無駄なことである、と答えるのみであった由。
  • 1022,595,61,2283出した。このような總べての苦痛の間、彼は絶えず、その信仰について尋ねられたが、これに
  • 499,587,61,2284は次の事を知った。第一に、平戸の領主からは、こう書いて來た。すなわち、本年、陛下からプレ
  • 1752,594,63,2282を破壞し、或いは占領して、彼等のものとして領有するような方策を實行するように。そうす
  • 1125,598,62,2278れ、緩々と火が著けられた。このため、彼の〓腑は、彼が死に至る以前に、殆ど身體から飛び
  • 915,593,66,2256對して彼は、ただ、貴下達には、これらの事柄を了解することも、理解することもできない。
  • 1228,594,63,2278拷問を受けた。凡ゆる拷問が彼に課せられたのち、彼の裸の腹部に、乾いた薪木の小片が置か
  • 605,598,59,2269の手紙を受取った。さきに我々が閣下達に宛てて書いた手紙に對するこれらの返書から、我々
  • 402,2332,55,547の願いにより、閣僚達
  • 395,602,62,1483シデント・カロン閣下に賜わった銀については、上記の閣下〓」
  • 1337,2095,54,775江戸で死に至るまで呵責を受け、
  • 1650,586,62,2220れば、この國への奉仕にもなり、皇。帝陛下を滿足させるに違いない、と傳えるように、と。
  • 709,642,58,2232また上記の通詞から、平戸の領主、閣僚の内匠殿と太田備中殿竝びに使節兼松彌五左衞門殿
  • 1330,1373,67,436で捕えられ、最近(〓
  • 1551,646,60,1033また、ベキ、もしくはキべと稱する宣教師
  • 1326,591,59,334夏、政宗王領
  • 1464,2695,48,178は、この
  • 287,604,80,1747に鄭重な謝意を表した。さらに、各自に一人ずづ、閣下〓〓のに宛てた閣
  • 298,2668,54,203の手紙の
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  • 321,1904,47,166○平戸の
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  • 1432,594,53,2088ス會に入る。一六二二年迄ローマに滯在し、一六二五年澳門に歸著、一六三〇年マニラを經て日本に歸國す。
  • 1537,1688,48,1184あろう。一五八七年の生まれ。イエズス會の同宿となり、カス
  • 387,2069,41,225ト・カロン。
  • 1319,1798,41,182七月四日。
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  • 1344,328,39,127其情景
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