『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 12 訳4下1640年01月-1641年01月 p.96

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

いる。, れに隨伴する他の幾つかの理由からである。, たので、その通りにし、皆一緒に家へ〓った。暗くなって、(長崎と平戸の)ボンゴイ達が一, らその地に來ていた他の代表委員全員と同じく、)自分の國に歸るよう、命ぜられたものであ, 木ともども再び取り出し、火藥は、彈倉から都合よく出せなければ點火するように、と返答し, 服したのち、彼等四人と、この臼砲を徹夜で見張った。これを誰にも見られないよう、またこ, る。ポルトガル人は、なお(宮廷から次の命令があるまで)嶋原の領主の警固の許に置かれて, もに、再び平戸に〓って來た。彼は知事三郎左衞門殿から、(兵士と船とともに樣々な地域か, 及びエルセラック氏と相談の上)この殿達に、殘りの五門の臼砲は(裝〓してあるの, 午後、執政官内匠殿, か、四艘のフェイフォネ(これで今月十六日に長崎へ發った)とと, で)、一晩中害なしに持越すことはできない、と傳えさせた。これに對して彼等は、榴彈は臺, 邊二十五フートの正方形である。ヴォルフは、射撃を止めるようにとの命令を聞くと、(ここ, に居合わせたル・メール氏, 一六四〇年七月〔一六四〇年七月〕, 官として同地に留まる。一六四五年秋、歸國船團の司令官に任ぜられて歸國の途に就く。一六七三年六月二十七日、, (haer edhen), アルクマ・, 信知, ルに歿す。, 〇名はマクシミリアンmaximiliaen、一六三三年六月二十五日、和蘭東印度會社の, 〓務員となり、一六四〇年七月四日、ロッホ號にてタイオワンより上級商務員とし, ○松浦, て平戸に著任、一六四一年二月十四日より同年十月二十九日まで日本商館長を勤める。この間に平戸より長崎出嶋を, ン商館次席館員となり、一六四三年六月より翌年五月までタイオワン長官代理、同年カロンの長官就任によりその次, 商館が移轉された。一六四一年十一月、バタフィアに赴き、翌年六月十七日、カレル・ハルツィンクに替ってタイオワ, 官として同地に留まる。一六四五年秋、歸國船團の司令官に任ぜられて歸國の途に就く。一六七三年六月二十七日, 崎より歸著, 葡船竝に使, 節等を高力, 松浦信知長, 忠房の警固, 等試射に立, 會ふ, の許に置く, ル・メール, す, 一六四〇年七月〔一六四〇年七月〕, 九五

割注

  • アルクマ・
  • 信知
  • ルに歿す。
  • 〇名はマクシミリアンmaximiliaen、一六三三年六月二十五日、和蘭東印度會社の
  • 〓務員となり、一六四〇年七月四日、ロッホ號にてタイオワンより上級商務員とし
  • ○松浦
  • て平戸に著任、一六四一年二月十四日より同年十月二十九日まで日本商館長を勤める。この間に平戸より長崎出嶋を
  • ン商館次席館員となり、一六四三年六月より翌年五月までタイオワン長官代理、同年カロンの長官就任によりその次
  • 商館が移轉された。一六四一年十一月、バタフィアに赴き、翌年六月十七日、カレル・ハルツィンクに替ってタイオワ
  • 官として同地に留まる。一六四五年秋、歸國船團の司令官に任ぜられて歸國の途に就く。一六七三年六月二十七日

頭注

  • 崎より歸著
  • 葡船竝に使
  • 節等を高力
  • 松浦信知長
  • 忠房の警固
  • 等試射に立
  • 會ふ
  • の許に置く
  • ル・メール

  • 一六四〇年七月〔一六四〇年七月〕

ノンブル

  • 九五

注記 (39)

  • 339,585,48,114いる。
  • 854,583,55,1037れに隨伴する他の幾つかの理由からである。
  • 1063,579,58,2261たので、その通りにし、皆一緒に家へ〓った。暗くなって、(長崎と平戸の)ボンゴイ達が一
  • 542,581,57,2276らその地に來ていた他の代表委員全員と同じく、)自分の國に歸るよう、命ぜられたものであ
  • 1168,574,57,2280木ともども再び取り出し、火藥は、彈倉から都合よく出せなければ點火するように、と返答し
  • 959,580,57,2270服したのち、彼等四人と、この臼砲を徹夜で見張った。これを誰にも見られないよう、またこ
  • 438,580,57,2273る。ポルトガル人は、なお(宮廷から次の命令があるまで)嶋原の領主の警固の許に置かれて
  • 646,586,57,2273もに、再び平戸に〓って來た。彼は知事三郎左衞門殿から、(兵士と船とともに樣々な地域か
  • 1375,780,57,2072及びエルセラック氏と相談の上)この殿達に、殘りの五門の臼砲は(裝〓してあるの
  • 741,630,78,505午後、執政官内匠殿
  • 752,1267,55,1589か、四艘のフェイフォネ(これで今月十六日に長崎へ發った)とと
  • 1271,578,61,2286で)、一晩中害なしに持越すことはできない、と傳えさせた。これに對して彼等は、榴彈は臺
  • 1791,577,59,2270邊二十五フートの正方形である。ヴォルフは、射撃を止めるようにとの命令を聞くと、(ここ
  • 1683,580,68,668に居合わせたル・メール氏
  • 232,807,45,651一六四〇年七月〔一六四〇年七月〕
  • 1463,574,48,2244官として同地に留まる。一六四五年秋、歸國船團の司令官に任ぜられて歸國の途に就く。一六七三年六月二十七日、
  • 1432,1597,34,210(haer edhen)
  • 1405,581,39,178アルクマ・
  • 734,1120,39,90信知
  • 1359,580,43,174ルに歿す。
  • 1717,1227,45,1622〇名はマクシミリアンmaximiliaen、一六三三年六月二十五日、和蘭東印度會社の
  • 1672,1249,45,1605〓務員となり、一六四〇年七月四日、ロッホ號にてタイオワンより上級商務員とし
  • 781,1126,40,126○松浦
  • 1610,576,47,2265て平戸に著任、一六四一年二月十四日より同年十月二十九日まで日本商館長を勤める。この間に平戸より長崎出嶋を
  • 1507,588,48,2263ン商館次席館員となり、一六四三年六月より翌年五月までタイオワン長官代理、同年カロンの長官就任によりその次
  • 1566,573,50,2280商館が移轉された。一六四一年十一月、バタフィアに赴き、翌年六月十七日、カレル・ハルツィンクに替ってタイオワ
  • 1463,575,47,2240官として同地に留まる。一六四五年秋、歸國船團の司令官に任ぜられて歸國の途に就く。一六七三年六月二十七日
  • 719,313,38,213崎より歸著
  • 555,310,41,216葡船竝に使
  • 511,310,38,215節等を高力
  • 761,311,41,216松浦信知長
  • 467,311,39,214忠房の警固
  • 1655,308,39,213等試射に立
  • 1611,309,37,80會ふ
  • 424,313,39,213の許に置く
  • 1701,315,39,205ル・メール
  • 675,312,39,38
  • 232,807,46,652一六四〇年七月〔一六四〇年七月〕
  • 237,2511,41,80九五

類似アイテム