『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 14 訳5 1641年02月-1641年09月 p.31

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した。, にも落ちるような大きな危險に遭う程であるのを知った。幾頭かの馬は倒れて、それらを我々, たち數人、その他の彼等の友人たち及び宿主が既に約二時間もシンナガワで我々を歡迎するた, は苦勞して元通りに引き起したが、荷物はそれでもなお損傷せずにあった。多くの危險と骨折, と、及び上記の執政官附き、領主の母, た。午後、再び街道に來ると、我々は(太陽の熱で雪がたくさん融けたため)烈しく流れる排, てあった通詞ショスケに再會したが、彼は我々に、彼が執政官への彼の使命を適切に果したこ, に來著した。七マイル半前進, 連ぶため、また山地を下る際馬を支えるために、再度、別の人足たちを雇わざるを得なかっ, 水路を見、街道も滑らかで滑り易いため、度々我々が山地のあちこちの裂け目にある崖から今, りののち遂に我々は、夕刻(神よ賞讚せられよ、)ウードウラ, 竝びに祖母, 同月十一日我々は再びそこから出發した。正午にカワサキ, に來著し、この地で食事を攝, で食事を攝ってのち、シン, 〓附近で我々は、我々の來著を知らせるため平戸の領主の江戸での業務をとる執政官, 同月十日朝我々は再び當地を出發した。正午にオイッソ幾, 附きの貴人, り、そして夕刻にはトツーカ, ナガワ, に〔到著した〕。一〇マイル前進した。, ののところへウーダワラから同地〓〓へ派遣し, り、そして夕刻にはトツ力〓〓7に〔到著した〕。一〇マイル前進した。, ○川, nagawa), ○小田, 牧野右馬允康成の女, ○壹岐守隆信の母, ○壹岐守隆信室永昌、, 爲、大村純忠女, ○大, 原, ○下記ソイェモンすなわち南總右衞門。松浦鎭信の祖父久信の, 妹を妻とする。宗陽公侍帳所掲百五十石南三八郎の先代か, 磯, ('s heeren moeder, grootmoeder), ○品, に派遣す, を中川に出, 右衞門の許, 迎ふ, に雇ひて山, を下る, 等蘭人一行, 松浦家使者, 川崎, 小田原, 石橋庄助を, 小田原より, 人馬を新規, 家用人南總, 在江戸松浦, 大磯, 一六四一年四月江戸にて, 三〇

割注

  • ○小田
  • 牧野右馬允康成の女
  • ○壹岐守隆信の母
  • ○壹岐守隆信室永昌、
  • 爲、大村純忠女
  • ○大
  • ○下記ソイェモンすなわち南總右衞門。松浦鎭信の祖父久信の
  • 妹を妻とする。宗陽公侍帳所掲百五十石南三八郎の先代か
  • ('s heeren moeder, grootmoeder)
  • ○品

頭注

  • に派遣す
  • を中川に出
  • 右衞門の許
  • 迎ふ
  • に雇ひて山
  • を下る
  • 等蘭人一行
  • 松浦家使者
  • 川崎
  • 小田原
  • 石橋庄助を
  • 小田原より
  • 人馬を新規
  • 家用人南總
  • 在江戸松浦
  • 大磯

  • 一六四一年四月江戸にて

ノンブル

  • 三〇

注記 (55)

  • 1143,633,48,124した。
  • 1448,635,55,2271にも落ちるような大きな危險に遭う程であるのを知った。幾頭かの馬は倒れて、それらを我々
  • 306,639,57,2275たち數人、その他の彼等の友人たち及び宿主が既に約二時間もシンナガワで我々を歡迎するた
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  • 513,627,56,2297てあった通詞ショスケに再會したが、彼は我々に、彼が執政官への彼の使命を適切に果したこ
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  • 1553,628,54,2283水路を見、街道も滑らかで滑り易いため、度々我々が山地のあちこちの裂け目にある崖から今
  • 1239,634,56,1459りののち遂に我々は、夕刻(神よ賞讚せられよ、)ウードウラ
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