Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
同月六日先に記された住居は總べて引崩されて取壞された。, の領主に提案したが、しかし、それに就き領主閣下からは、與えられた命令には服從せねばな, 彼等は直ちに木造部分を解體する作業に取り掛った。, らず、我々はカピテンの部屋も前面の住居も同じように取崩さなくてはならぬ、との返事を得, 同月五日昨日の呼び出しで、大工數人と若干の人夫たちが日の出とともに商館に現われて、, とするに違いない、と怖れられているらしい、というのが彼の思惑にあるからである、と。, た。そこまでにして閣下等は領主閣下の許から別れると、我々はその後互いに〔相談して〕、機, なわち、執政官のターケモン殿とデイジェン殿は、我々により今月四日に出された要望を平戸, 〓とができないかどうかを考慮に委ねることを決めたが、それは、商館が現在、住居に關して, 同月七及び八日本日、會社の元の通詞リエモンにより我々に以下のことが傳えられた。す, 會を見て再度領主に提案し、取壞し作業は上の方, ッケル閣下, 及びクーケバ, から今後の命令を又取る時まで差留める, は(スペックス閣下, 幕府, ○江戸, )ニコラース・クーケバッケルnicolaes couckebacker、生沒年未詳、一六三三(寛永十)年より一六, (nieuroode), ○コルネリス・フ, ン・ナイエンロ, 戸オランダ商館長を務め、一六三三年一月三十一日(寛永九年十二月二十二日)平戸で死去した, 二八(寛永十五)年まで平戸オランダ商館長、その日記は譯文編之一(上)より三(下)までに收める, ○ジャックス・スペックスjacques specx生沒年不明、ドルドレヒトdordrechtの人、ロー, (元和七)年初まで平戸オランダ商館長を務め、のちバタフィア總督となる一, テ・レーウ・メット・パイレン號de roode leeuw met de pijlenで來日、一六〇九(慶長十四), ーデcornelis. van neijenrode、生年未詳、一六二三(元和九)年より一六三二(寛永九)年まで平, 年より一六一三(慶長十八)年まで、及び一六一四(慶長十九)年より一六二一、, 二ューローデ閣下(, (apparent beducht sijn), 年より, 再開す, 門エルセラ, 主君鎭信と, 家奉行人の, 貞方利右衞, の折衝振り, を通知す, ックに松浦, 解體作業を, 平戸商館の, の住居との, 歴代商館長, 比較, 一六四一年六月〔一六四一年四月平戸にて〕, 八〇
割注
- 幕府
- ○江戸
- )ニコラース・クーケバッケルnicolaes couckebacker、生沒年未詳、一六三三(寛永十)年より一六
- (nieuroode)
- ○コルネリス・フ
- ン・ナイエンロ
- 戸オランダ商館長を務め、一六三三年一月三十一日(寛永九年十二月二十二日)平戸で死去した
- 二八(寛永十五)年まで平戸オランダ商館長、その日記は譯文編之一(上)より三(下)までに收める
- ○ジャックス・スペックスjacques specx生沒年不明、ドルドレヒトdordrechtの人、ロー
- (元和七)年初まで平戸オランダ商館長を務め、のちバタフィア總督となる一
- テ・レーウ・メット・パイレン號de roode leeuw met de pijlenで來日、一六〇九(慶長十四)
- ーデcornelis. van neijenrode、生年未詳、一六二三(元和九)年より一六三二(寛永九)年まで平
- 年より一六一三(慶長十八)年まで、及び一六一四(慶長十九)年より一六二一、
- 二ューローデ閣下(
- (apparent beducht sijn)
- 年より
頭注
- 再開す
- 門エルセラ
- 主君鎭信と
- 家奉行人の
- 貞方利右衞
- の折衝振り
- を通知す
- ックに松浦
- 解體作業を
- 平戸商館の
- の住居との
- 歴代商館長
- 比較
柱
- 一六四一年六月〔一六四一年四月平戸にて〕
ノンブル
- 八〇
注記 (46)
- 1441,678,59,1480同月六日先に記された住居は總べて引崩されて取壞された。
- 1126,625,65,2277の領主に提案したが、しかし、それに就き領主閣下からは、與えられた命令には服從せねばな
- 1547,623,59,1269彼等は直ちに木造部分を解體する作業に取り掛った。
- 1005,623,64,2286らず、我々はカピテンの部屋も前面の住居も同じように取崩さなくてはならぬ、との返事を得
- 1648,665,60,2237同月五日昨日の呼び出しで、大工數人と若干の人夫たちが日の出とともに商館に現われて、
- 1748,630,58,2194とするに違いない、と怖れられているらしい、というのが彼の思惑にあるからである、と。
- 904,620,62,2290た。そこまでにして閣下等は領主閣下の許から別れると、我々はその後互いに〔相談して〕、機
- 1229,626,63,2278なわち、執政官のターケモン殿とデイジェン殿は、我々により今月四日に出された要望を平戸
- 696,636,62,2258〓とができないかどうかを考慮に委ねることを決めたが、それは、商館が現在、住居に關して
- 1332,676,67,2222同月七及び八日本日、會社の元の通詞リエモンにより我々に以下のことが傳えられた。す
- 798,614,66,1177會を見て再度領主に提案し、取壞し作業は上の方
- 305,621,59,259ッケル閣下
- 403,2544,52,336及びクーケバ
- 800,1933,51,965から今後の命令を又取る時まで差留める
- 611,615,69,506は(スペックス閣下
- 786,1799,41,88幕府
- 830,1805,40,116○江戸
- 324,890,50,1994)ニコラース・クーケバッケルnicolaes couckebacker、生沒年未詳、一六三三(寛永十)年より一六
- 561,2147,33,193(nieuroode)
- 532,2575,41,315○コルネリス・フ
- 489,2595,42,292ン・ナイエンロ
- 386,615,50,1871戸オランダ商館長を務め、一六三三年一月三十一日(寛永九年十二月二十二日)平戸で死去した
- 281,894,51,1958二八(寛永十五)年まで平戸オランダ商館長、その日記は譯文編之一(上)より三(下)までに收める
- 637,1124,50,1768○ジャックス・スペックスjacques specx生沒年不明、ドルドレヒトdordrechtの人、ロー
- 493,617,45,1440(元和七)年初まで平戸オランダ商館長を務め、のちバタフィア總督となる一
- 590,1115,50,1772テ・レーウ・メット・パイレン號de roode leeuw met de pijlenで來日、一六〇九(慶長十四)
- 429,626,52,1897ーデcornelis. van neijenrode、生年未詳、一六二三(元和九)年より一六三二(寛永九)年まで平
- 532,618,53,1487年より一六一三(慶長十八)年まで、及び一六一四(慶長十九)年より一六二一、
- 505,2158,64,419二ューローデ閣下(
- 1803,1171,35,393(apparent beducht sijn)
- 545,613,38,126年より
- 1585,364,38,124再開す
- 1316,363,40,207門エルセラ
- 1184,360,40,209主君鎭信と
- 1230,361,40,206家奉行人の
- 1357,359,44,214貞方利右衞
- 1141,363,40,208の折衝振り
- 1097,359,39,167を通知す
- 1274,374,38,197ックに松浦
- 1628,363,41,213解體作業を
- 1672,364,40,210平戸商館の
- 588,357,41,204の住居との
- 634,354,40,213歴代商館長
- 546,355,39,80比較
- 1865,856,47,877一六四一年六月〔一六四一年四月平戸にて〕
- 1860,2610,42,84八〇
類似アイテム

『大日本史料』 12編 56 元和八年雑載 p.236

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 25 訳10 1646年09月-1647年09月 p.3

『日本関係海外史料』 イエズス会日本書翰集 8 訳文編之3 弘冶1年11月~永禄2年11月 p.156

『日本関係海外史料』 イエズス会日本書翰集 8 訳文編之3 弘冶1年11月~永禄2年11月 p.136

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 12 訳4下1640年01月-1641年01月 p.103

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 11 訳4上1639年02月-1639年閏11月 p.66

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 5 訳2上1636年01月-1637年01月 p.200

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 2 訳1上1633年08月-1634年04月 p.133