『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 14 訳5 1641年02月-1641年09月 p.100

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て書いてある由。, 屋までも總べてを充分點檢し終えたのち、彼等は彼等の乘って來た幾艘かの舟へ〓った。, 一六四一年六月, 引倒され、すっかり崩されたことに同情の意を示した。一番小さな部屋までも、然り、賄い部, なわち、昨日の夕刻、當地の執政官たちに宛てた手紙類を携えた江戸からの平戸の領主の急使, 同月二及び三日本日、通詞ファチゼイモンを通じて我々に、次のことが傳えられた。す, 同月一日夜明けとともに上記の使節たちは彼等の下の方, の支配者たちの、凡ゆる適切な敬意を受けつつ〔海上を〕クーチェ附近まで見送りを受けた。, 起したかを説明するため、できる限り速かに上の方へ急行するように、と閣下等〓, 閣僚たちの面前で免責證言し、且ついかなる目的で先頃人々が彼に對してあれ程激しく訴訟を, を抱きながら隈なく嗅ぎまわり、もう一度オランダ人たちに對して、彼等の建物がこのように, が到著したが、その書翰の中には、噂によれば、とりわけ、サンゼモン殿, に宛て, への旅を進め、そして當地, の件を, 一六四一年六月〔一六四一年六月平戸にて〕, (geproceceert), やることが力ロンの日記一六三九年七月七日及び二十一日の條に、また領主松浦鎭信の妹の息子であることがクーケ, サンゼモン殿, ノ同年五月二十二日に及び。, ○寛永十八年四月二十三日よ, 方面, ○淺山三左衞門純重、松, 浦家江戸屋敷の奉行人で, お不服の舊臣龍崎一派をも處刑した。松浦家世續傳この月の條に據る。なお一六四一年七月十日の條參照。, バッケルの日記一六三八年五月二日の條に見える。淺山は、江戸邸新參一宮某と龍崎七郎右衞門等舊臣を誹謗し、〓, 崎が下國し舊臣等と報復を圖ったが、松浦鎭信はこの後淺山を田平に隱退させ、寛永十八年十月十九日、な, あることが力ロンの日記一六三九年七月七日及び二十一日の條に、また領主松浦鎭信の妹の息子であることがクーケ, ○長崎, ○執政, 手頭を河内, 出發する船, 松浦家家臣, 視る, 賄部屋をも, 淺山純重の, を致す, 府を求む, 奉行人の出, 辯護の爲め, 浦附近迄見, 奉行人に書, 使に託して, 松浦鎭信急, 送る, (doorsnuffelende), 一六四一年六月〔一六四一年六月平戸にて〕, 九九

割注

  • ノ同年五月二十二日に及び。
  • ○寛永十八年四月二十三日よ
  • 方面
  • ○淺山三左衞門純重、松
  • 浦家江戸屋敷の奉行人で
  • お不服の舊臣龍崎一派をも處刑した。松浦家世續傳この月の條に據る。なお一六四一年七月十日の條參照。
  • バッケルの日記一六三八年五月二日の條に見える。淺山は、江戸邸新參一宮某と龍崎七郎右衞門等舊臣を誹謗し、〓
  • 崎が下國し舊臣等と報復を圖ったが、松浦鎭信はこの後淺山を田平に隱退させ、寛永十八年十月十九日、な
  • あることが力ロンの日記一六三九年七月七日及び二十一日の條に、また領主松浦鎭信の妹の息子であることがクーケ
  • ○長崎
  • ○執政

頭注

  • 手頭を河内
  • 出發する船
  • 松浦家家臣
  • 視る
  • 賄部屋をも
  • 淺山純重の
  • を致す
  • 府を求む
  • 奉行人の出
  • 辯護の爲め
  • 浦附近迄見
  • 奉行人に書
  • 使に託して
  • 松浦鎭信急
  • 送る

  • (doorsnuffelende)
  • 一六四一年六月〔一六四一年六月平戸にて〕

ノンブル

  • 九九

注記 (48)

  • 337,621,52,387て書いてある由。
  • 1583,607,59,2149屋までも總べてを充分點檢し終えたのち、彼等は彼等の乘って來た幾艘かの舟へ〓った。
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  • 1687,602,58,2299引倒され、すっかり崩されたことに同情の意を示した。一番小さな部屋までも、然り、賄い部
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  • 1059,663,62,2239同月二及び三日本日、通詞ファチゼイモンを通じて我々に、次のことが傳えられた。す
  • 1265,666,66,1438同月一日夜明けとともに上記の使節たちは彼等の下の方
  • 1162,610,62,2198の支配者たちの、凡ゆる適切な敬意を受けつつ〔海上を〕クーチェ附近まで見送りを受けた。
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