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な配慮であった。なお、明朝、望み次第の人數の人員を上陸させ、小物や書類等々の物を持參, することを許可された。, たが、彼等は、我々と一緒に前記の船舶に赴き、慣例に從って乘組員の點呼を行い、彼等の身分, に同行していなかったからである。蓋し、通常の時間外に船へ赴くことを許されたのは、親切, と年齡を書き上げ、また我々に書翰や其他の小物を引渡し、同じく、希望する者が我々と共に上, 夕闇も迫ったので、彼等は再び陸に向かったが、書類などは持歸らなかった。檢査官が我々, 同月二十五日風と天氣は前記に同じ。今朝、二人の重立った船舶の檢査官が當地に現われ, ディアからの積荷に一部分ペルシャ産生絲を加え、またタイオワンからの貨物若干を搭載して、, 陸することを許可するように、との命令を知事から與えられていた。そこで、我々は彼等、水, すぐ後に續いていること、また、廣南の海岸で商務員リースフェルト, 語った。, が他の數人のオランダ人たちと共に、この國の土民と爭って殺害された、と, 〓問官竝びに長崎の知事殿に宛てられた總督閣下の書, と共に同處, へ出向き、そして前記の件は滿足の行くよう實施された。なおこの間に、, とりわけ、金羅紗で蓋われた二つの方形の小箱が彼等に提示されたが、その中には日本の國事, 〓封印を施して收めら, (rijcxtacden van, ○ヤコブ・ファン・リースフ, ルトjacob van liesvelt彼, は使節としてトンキン, に派遣されていた。, 〇パーウ號, の碇泊地, ○本書附録第四號及, ひ第五號文書參照。, (goutlaecken), ○檢, 査官。, 臨檢, パーウ號の, スフェルト, 行宛總督書, 府年寄衆竝, びに長崎奉, パーウ號尋, 商務員リー, 廣南に於で, 翰を齎す, 殺害せらる, 後續す, 一六四二年八月長崎にて, 一二八
割注
- ○ヤコブ・ファン・リースフ
- ルトjacob van liesvelt彼
- は使節としてトンキン
- に派遣されていた。
- 〇パーウ號
- の碇泊地
- ○本書附録第四號及
- ひ第五號文書參照。
- (goutlaecken)
- ○檢
- 査官。
頭注
- 臨檢
- パーウ號の
- スフェルト
- 行宛總督書
- 府年寄衆竝
- びに長崎奉
- パーウ號尋
- 商務員リー
- 廣南に於で
- 翰を齎す
- 殺害せらる
- 後續す
柱
- 一六四二年八月長崎にて
ノンブル
- 一二八
注記 (43)
- 1167,588,65,2285な配慮であった。なお、明朝、望み次第の人數の人員を上陸させ、小物や書類等々の物を持參
- 1063,588,55,553することを許可された。
- 855,591,65,2284たが、彼等は、我々と一緒に前記の船舶に赴き、慣例に從って乘組員の點呼を行い、彼等の身分
- 1271,593,64,2280に同行していなかったからである。蓋し、通常の時間外に船へ赴くことを許されたのは、親切
- 752,585,64,2294と年齡を書き上げ、また我々に書翰や其他の小物を引渡し、同じく、希望する者が我々と共に上
- 1375,642,62,2222夕闇も迫ったので、彼等は再び陸に向かったが、書類などは持歸らなかった。檢査官が我々
- 957,622,68,2244同月二十五日風と天氣は前記に同じ。今朝、二人の重立った船舶の檢査官が當地に現われ
- 1789,580,63,2285ディアからの積荷に一部分ペルシャ産生絲を加え、またタイオワンからの貨物若干を搭載して、
- 647,578,74,2216陸することを許可するように、との命令を知事から與えられていた。そこで、我々は彼等、水
- 1686,591,64,1733すぐ後に續いていること、また、廣南の海岸で商務員リースフェルト
- 1480,588,49,177語った。
- 1585,1022,58,1846が他の數人のオランダ人たちと共に、この國の土民と爭って殺害された、と
- 336,599,60,1282〓問官竝びに長崎の知事殿に宛てられた總督閣下の書
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