『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 18 訳7 1642年10月-1643年09月 p.62

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王の奉仕に供する爲め、同處に留めておくよう命令した。, 共にパウシウの河口まで航行するためである。そちらには、國王も彼のガレー船隊を率いて、, ち上げられているのであるから、)彼等の所有物であると主張したのである。上記のダフィッツ, のダフィッツセンを再びヴァッケンデ・ブーイ號で同地に派遣した。彼は四月二十八日、カチ, していた。そして實際にそのような事態となった。この事が國王に傳えられると、國王は上記, へ向かった。國王陛下の命に從って、キーフィット號、ナハテガル號と, 二十三日に出發していた。そして五月二十六日には、彼の全艦隊が確實に、同地に集合してい, 助することを拒む住民たちとの間に、重大な悶著を生じた。彼等は、この船を(彼等の濱邊に打, センは(ヴァッケンデ・ブーイ號で上の方〔, して、國王陛下から、上述のヤハト船〓, に、イザーク・ダフィッツセンをヴァッケンデ・ブーイ號で同地に廻航させ、同ヤハト船を國, で航海することが出來ぬ場合には、再び同地(, ウーから同地一, が出發したことを知ったが、彼等は、バタフィアま, 彼は同地に到著して、既に同船, に〓って來る積りである、との手紙を殘, に現われたとの通報を受けた、との回答を得た。そして國王はブロンクホルスト君, がローフェルス嶋, の近く, に赴き、)この件に就いて國王に歎願した。そ, ○カチ, ルス嶋, ○キーフィ, しローフエ, ○清冷散嶋dao tching, )ローフェ, lan-xanに比定されよう。, )キーフィ, ルス嶋。, クホシストantonij. van brouckhorst、屡々ブロンクホルストとも稱せられる。當時、長崎商館の商務員、東京航海, ウー。, ○アントニイ・, の指揮官として再三東京に渡航し、同地の商館長の任に當る。後年、長崎商館長に就任(一六四九〓一六五〇)。, ト號。, ファン, ット號, 廣南征討に, 號に坐乘し, セン王命に, 赴く, にブーイ號, 王の許に赴, クホルスト, ダフィツツ, 依りブーイ, キーフィツ, 徴發の意嚮, セン東京國, 國王ブルッ, を傳ふ, ダフィツツ, ト號清冷散, 國王廣南征, 討に出陣す, の報, 嶋に來ると, く, 一六四三年五月リロ號にて, 六三

割注

  • ○カチ
  • ルス嶋
  • ○キーフィ
  • しローフエ
  • ○清冷散嶋dao tching
  • )ローフェ
  • lan-xanに比定されよう。
  • )キーフィ
  • ルス嶋。
  • クホシストantonij. van brouckhorst、屡々ブロンクホルストとも稱せられる。當時、長崎商館の商務員、東京航海
  • ウー。
  • ○アントニイ・
  • の指揮官として再三東京に渡航し、同地の商館長の任に當る。後年、長崎商館長に就任(一六四九〓一六五〇)。
  • ト號。
  • ファン
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頭注

  • 廣南征討に
  • 號に坐乘し
  • セン王命に
  • 赴く
  • にブーイ號
  • 王の許に赴
  • クホルスト
  • ダフィツツ
  • 依りブーイ
  • キーフィツ
  • 徴發の意嚮
  • セン東京國
  • 國王ブルッ
  • を傳ふ
  • ト號清冷散
  • 國王廣南征
  • 討に出陣す
  • の報
  • 嶋に來ると

  • 一六四三年五月リロ號にて

ノンブル

  • 六三

注記 (59)

  • 1073,623,57,1380王の奉仕に供する爲め、同處に留めておくよう命令した。
  • 444,623,63,2255共にパウシウの河口まで航行するためである。そちらには、國王も彼のガレー船隊を率いて、
  • 1693,619,61,2284ち上げられているのであるから、)彼等の所有物であると主張したのである。上記のダフィッツ
  • 652,628,62,2274のダフィッツセンを再びヴァッケンデ・ブーイ號で同地に派遣した。彼は四月二十八日、カチ
  • 755,626,62,2279していた。そして實際にそのような事態となった。この事が國王に傳えられると、國王は上記
  • 546,1180,62,1721へ向かった。國王陛下の命に從って、キーフィット號、ナハテガル號と
  • 338,627,65,2266二十三日に出發していた。そして五月二十六日には、彼の全艦隊が確實に、同地に集合してい
  • 1795,618,64,2284助することを拒む住民たちとの間に、重大な悶著を生じた。彼等は、この船を(彼等の濱邊に打
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