Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
王の奉仕に供する爲め、同處に留めておくよう命令した。, 共にパウシウの河口まで航行するためである。そちらには、國王も彼のガレー船隊を率いて、, ち上げられているのであるから、)彼等の所有物であると主張したのである。上記のダフィッツ, のダフィッツセンを再びヴァッケンデ・ブーイ號で同地に派遣した。彼は四月二十八日、カチ, していた。そして實際にそのような事態となった。この事が國王に傳えられると、國王は上記, へ向かった。國王陛下の命に從って、キーフィット號、ナハテガル號と, 二十三日に出發していた。そして五月二十六日には、彼の全艦隊が確實に、同地に集合してい, 助することを拒む住民たちとの間に、重大な悶著を生じた。彼等は、この船を(彼等の濱邊に打, センは(ヴァッケンデ・ブーイ號で上の方〔, して、國王陛下から、上述のヤハト船〓, に、イザーク・ダフィッツセンをヴァッケンデ・ブーイ號で同地に廻航させ、同ヤハト船を國, で航海することが出來ぬ場合には、再び同地(, ウーから同地一, が出發したことを知ったが、彼等は、バタフィアま, 彼は同地に到著して、既に同船, に〓って來る積りである、との手紙を殘, に現われたとの通報を受けた、との回答を得た。そして國王はブロンクホルスト君, がローフェルス嶋, の近く, に赴き、)この件に就いて國王に歎願した。そ, ○カチ, ルス嶋, ○キーフィ, しローフエ, ○清冷散嶋dao tching, )ローフェ, lan-xanに比定されよう。, )キーフィ, ルス嶋。, クホシストantonij. van brouckhorst、屡々ブロンクホルストとも稱せられる。當時、長崎商館の商務員、東京航海, ウー。, ○アントニイ・, の指揮官として再三東京に渡航し、同地の商館長の任に當る。後年、長崎商館長に就任(一六四九〓一六五〇)。, ト號。, ファン, ット號, 廣南征討に, 號に坐乘し, セン王命に, 赴く, にブーイ號, 王の許に赴, クホルスト, ダフィツツ, 依りブーイ, キーフィツ, 徴發の意嚮, セン東京國, 國王ブルッ, を傳ふ, ダフィツツ, ト號清冷散, 國王廣南征, 討に出陣す, の報, 嶋に來ると, く, 一六四三年五月リロ號にて, 六三
割注
- ○カチ
- ルス嶋
- ○キーフィ
- しローフエ
- ○清冷散嶋dao tching
- )ローフェ
- lan-xanに比定されよう。
- )キーフィ
- ルス嶋。
- クホシストantonij. van brouckhorst、屡々ブロンクホルストとも稱せられる。當時、長崎商館の商務員、東京航海
- ウー。
- ○アントニイ・
- の指揮官として再三東京に渡航し、同地の商館長の任に當る。後年、長崎商館長に就任(一六四九〓一六五〇)。
- ト號。
- ファン
- ット號
頭注
- 廣南征討に
- 號に坐乘し
- セン王命に
- 赴く
- にブーイ號
- 王の許に赴
- クホルスト
- ダフィツツ
- 依りブーイ
- キーフィツ
- 徴發の意嚮
- セン東京國
- 國王ブルッ
- を傳ふ
- ト號清冷散
- 國王廣南征
- 討に出陣す
- の報
- 嶋に來ると
- く
柱
- 一六四三年五月リロ號にて
ノンブル
- 六三
注記 (59)
- 1073,623,57,1380王の奉仕に供する爲め、同處に留めておくよう命令した。
- 444,623,63,2255共にパウシウの河口まで航行するためである。そちらには、國王も彼のガレー船隊を率いて、
- 1693,619,61,2284ち上げられているのであるから、)彼等の所有物であると主張したのである。上記のダフィッツ
- 652,628,62,2274のダフィッツセンを再びヴァッケンデ・ブーイ號で同地に派遣した。彼は四月二十八日、カチ
- 755,626,62,2279していた。そして實際にそのような事態となった。この事が國王に傳えられると、國王は上記
- 546,1180,62,1721へ向かった。國王陛下の命に從って、キーフィット號、ナハテガル號と
- 338,627,65,2266二十三日に出發していた。そして五月二十六日には、彼の全艦隊が確實に、同地に集合してい
- 1795,618,64,2284助することを拒む住民たちとの間に、重大な悶著を生じた。彼等は、この船を(彼等の濱邊に打
- 1588,627,69,1038センは(ヴァッケンデ・ブーイ號で上の方〔
- 1489,625,63,948して、國王陛下から、上述のヤハト船〓
- 1171,623,67,2282に、イザーク・ダフィッツセンをヴァッケンデ・ブーイ號で同地に廻航させ、同ヤハト船を國
- 862,626,61,1093で航海することが出來ぬ場合には、再び同地(
- 556,629,57,327ウーから同地一
- 963,1661,57,1244が出發したことを知ったが、彼等は、バタフィアま
- 973,675,53,753彼は同地に到著して、既に同船
- 858,1937,57,973に〓って來る積りである、との手紙を殘
- 1376,623,68,1984に現われたとの通報を受けた、との回答を得た。そして國王はブロンクホルスト君
- 1486,1767,54,431がローフェルス嶋
- 1483,2754,54,152の近く
- 1588,1785,58,1124に赴き、)この件に就いて國王に歎願した。そ
- 1623,1658,39,117○カチ
- 541,959,40,130ルス嶋
- 999,1434,38,215○キーフィ
- 894,1725,36,195しローフエ
- 1510,2207,44,490○清冷散嶋dao tching
- 585,968,40,186)ローフェ
- 1467,2208,44,511lan-xanに比定されよう。
- 1520,1570,37,185)キーフィ
- 848,1719,40,136ルス嶋。
- 1303,624,52,2275クホシストantonij. van brouckhorst、屡々ブロンクホルストとも稱せられる。當時、長崎商館の商務員、東京航海
- 1581,1659,40,104ウー。
- 1407,2611,40,282○アントニイ・
- 1258,622,54,2184の指揮官として再三東京に渡航し、同地の商館長の任に當る。後年、長崎商館長に就任(一六四九〓一六五〇)。
- 1473,1584,42,95ト號。
- 1369,2614,36,95ファン
- 957,1435,35,136ット號
- 812,359,38,208廣南征討に
- 855,360,40,208號に坐乘し
- 942,364,40,202セン王命に
- 767,358,39,82赴く
- 1213,362,40,211にブーイ號
- 1624,358,43,212王の許に赴
- 1254,361,42,209クホルスト
- 989,359,36,208ダフィツツ
- 902,358,36,210依りブーイ
- 1509,359,37,203キーフィツ
- 1165,358,43,213徴發の意嚮
- 1669,360,42,210セン東京國
- 1298,356,42,206國王ブルッ
- 1123,359,38,123を傳ふ
- ... +9 more
類似アイテム

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 18 訳7 1642年10月-1643年09月 p.63

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 18 訳7 1642年10月-1643年09月 p.207

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 18 訳7 1642年10月-1643年09月 p.221

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 18 訳7 1642年10月-1643年09月 p.60

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 18 訳7 1642年10月-1643年09月 p.119

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 18 訳7 1642年10月-1643年09月 p.75

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 18 訳7 1642年10月-1643年09月 p.61

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 18 訳7 1642年10月-1643年09月 p.210