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ることが期待されていた。, 逅したのであった。, は逆の季節風の爲め、前進することが出來ず、まずは、彼等の出來る限りの努力を盡したす, え、パウシウの河口まで來たが、ローフェルス嶋まで引返すことを餘儀なくされた。そして、, 隻のヤハト船(後者は、キーフィット號の状態に鑑み、援護の爲め僚船の傍を離れずにいた、), 以上述べた事柄が進展していた間に、一方では、上述のキーフィット號とナハテガル號の二, 下の艦隊の集合地に向けて出發し、そして(述べたように)此處ギアング河の河口で我々と邂, 同處から、さきに述べた如く、イザーク・ダフィッツセンの搭乘したブーイ號と共に、國王陛, を留め置き、彼等を介してブロンクホルストに、萬事我等の, 最高の重臣たちと共に、總勢凡そ二十萬の精兵を率いて、廣南人に對して攻撃をかけた。國王, 言葉でも彼等の言葉でも、意見を傳えられるようにしていたので、我々は彼の行動に從わざる, 援軍の到來を六月後半まで待つ氣はなく、その時までに我等の艦隊が現われないときには、彼, 國王は彼の息子デイロ, 陛下は、彼の身邊に中尉ヤスペル・ファン・キューレンブルクと旗手ミヒール・トレザール竝, びに舵手のアレント某, 〓を得なかった。そして、次のようなことを知らされた。即ち、國王陛下は、バタフィアからの, 竝びに, 館の一六四三年の「仕譯帳」には、東京國王世子dickonghteyと見える。, ○原本、姓の, 記載を缺く, ○deyroは日本語の内裏の轉訛であろう、通常は越南皇帝黎氏を指す。長崎商., トレザール, ミヒール・, アレント某, 前記の二船, てブーイ號, 邂垢す, 清冷散嶋に, 名を留む, と合流す, てリロ號に, 邊に蘭人一, ヤスペル・, 義安河口に, 東京國王身, ファン・キ, ユーレンブ, ルク, 一六四三年五月リロ號にて, 六四
割注
- 館の一六四三年の「仕譯帳」には、東京國王世子dickonghteyと見える。
- ○原本、姓の
- 記載を缺く
- ○deyroは日本語の内裏の轉訛であろう、通常は越南皇帝黎氏を指す。長崎商.
- トレザール
- ミヒール・
- アレント某
頭注
- 前記の二船
- てブーイ號
- 邂垢す
- 清冷散嶋に
- 名を留む
- と合流す
- てリロ號に
- 邊に蘭人一
- ヤスペル・
- 義安河口に
- 東京國王身
- ファン・キ
- ユーレンブ
- ルク
柱
- 一六四三年五月リロ號にて
ノンブル
- 六四
注記 (40)
- 1745,623,53,607ることが期待されていた。
- 1010,628,52,447逅したのであった。
- 1429,627,60,2277は逆の季節風の爲め、前進することが出來ず、まずは、彼等の出來る限りの努力を盡したす
- 1325,624,60,2255え、パウシウの河口まで來たが、ローフェルス嶋まで引返すことを餘儀なくされた。そして、
- 1535,625,59,2268隻のヤハト船(後者は、キーフィット號の状態に鑑み、援護の爲め僚船の傍を離れずにいた、)
- 1639,671,60,2231以上述べた事柄が進展していた間に、一方では、上述のキーフィット號とナハテガル號の二
- 1113,616,62,2299下の艦隊の集合地に向けて出發し、そして(述べたように)此處ギアング河の河口で我々と邂
- 1218,622,62,2292同處から、さきに述べた如く、イザーク・ダフィッツセンの搭乘したブーイ號と共に、國王陛
- 594,1443,57,1471を留め置き、彼等を介してブロンクホルストに、萬事我等の
- 800,628,59,2294最高の重臣たちと共に、總勢凡そ二十萬の精兵を率いて、廣南人に對して攻撃をかけた。國王
- 487,629,60,2290言葉でも彼等の言葉でも、意見を傳えられるようにしていたので、我々は彼の行動に從わざる
- 276,631,62,2291援軍の到來を六月後半まで待つ氣はなく、その時までに我等の艦隊が現われないときには、彼
- 905,682,53,532國王は彼の息子デイロ
- 694,628,62,2292陛下は、彼の身邊に中尉ヤスペル・ファン・キューレンブルクと旗手ミヒール・トレザール竝
- 587,631,70,552びに舵手のアレント某
- 356,552,87,2364〓を得なかった。そして、次のようなことを知らされた。即ち、國王陛下は、バタフィアからの
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