『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 18 訳7 1642年10月-1643年09月 p.148

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がバタフィアの總督閣下に、彼の地方に一大都市が在って、各種の絹絲やシナの絹織物など、, の知る限りのことを、眞實に即して答えた。即ち、以下に記す如くである。前記の船と人々、, 多量の商品が日々同處に齎されている、と證言した。このような意見に基づいて、前記の船舶, は、同地に於いて樣々な有用なる品々が必要なだけ入手し得るであろう、と期待して、彼の地, 言葉や文章を完全に理解する一人のタルタリア生まれの男が居り、その者やその他多くの人々, いて我々は、(前記の囚禁された人たちの口から傳えられ、總てよく知られているので)我々, 出來るかどうかを調べる爲めにバタフィアを出帆したものである。また、他の船に搭乘してい, 竝びに何處に渡航せんとしたかに就いては我々は良く知っている。船長は、これ迄に二度平戸, 同じく、何處へ赴くつもりで航海していたのか、我等に詳しく尋ねるように命じた。これに就, る指揮官の船長は、マールテン。ヘリッツゾーン・ド・フリース(, に來たことがあり、去る三月に二隻の船でタルタリア, で、この船には、オランダに長く滯在して、我等の, タフ〓アを發進し、テルナーテ嶋に寄港、四月初旬同嶋を發して北航、五月十九日、北緯三四度附近で激しい風雨の, 爲めブレスケンス號と離散した。その後、カストリクム號は蝦夷・千嶋を探檢して北緯四八度五四分、東經一六三〓, 一分の地に達して引返し、その後一箇月に亘って金銀嶋を探索したが得るところなく、十一月中旬にタイオワンに入, 港した。一六四四年、彼はバタフィア城裁判所委員collegie van schepenenに就任、四五年、四六年の兩年、フ, による第一次金銀鳩探索の航海に從事した。その後マラッカ攻略に參加し、極東水域に於いても活動した。一六四一, 年の第二次金銀嶋探索には、司令官としてカストリクム號に坐乘、僚船ブレスケンス號を伴って、同年二月上旬、, の沿岸を探索し、同地で何か取引が, リピン以東のイスパニア船團の襲撃に失敗、四六年八, 月イスパニア船との會戰に敗北、一六四七年死去。, )彼は一六三九年に、アベル・タスマ, abel tasmanと倶に、オランダ人, abe, 月イスパニア船との會戰に敗北、一六四七年死去。, リピン以東のイスパニア船團の襲撃に失敗、四六年八, ○韃, 年の第二次金銀嶋探索には、司令官としてカストリクム號に坐乘、僚船ブレスケンス號を伴って、同年二月上旬, 僚船の指揮, 官はド・フ, めて航海す, に市場を求, リース, 同船は韃輪, 動等を訊す, 著蘭船の行, 商館長答辯, 一六四三年九月長崎にて, 一四九

割注

  • )彼は一六三九年に、アベル・タスマ
  • abel tasmanと倶に、オランダ人
  • abe
  • 月イスパニア船との會戰に敗北、一六四七年死去。
  • リピン以東のイスパニア船團の襲撃に失敗、四六年八
  • ○韃
  • 年の第二次金銀嶋探索には、司令官としてカストリクム號に坐乘、僚船ブレスケンス號を伴って、同年二月上旬

頭注

  • 僚船の指揮
  • 官はド・フ
  • めて航海す
  • に市場を求
  • リース
  • 同船は韃輪
  • 動等を訊す
  • 著蘭船の行
  • 商館長答辯

  • 一六四三年九月長崎にて

ノンブル

  • 一四九

注記 (39)

  • 570,610,62,2262がバタフィアの總督閣下に、彼の地方に一大都市が在って、各種の絹絲やシナの絹織物など、
  • 1610,611,62,2269の知る限りのことを、眞實に即して答えた。即ち、以下に記す如くである。前記の船と人々、
  • 466,608,61,2295多量の商品が日々同處に齎されている、と證言した。このような意見に基づいて、前記の船舶
  • 361,612,61,2291は、同地に於いて樣々な有用なる品々が必要なだけ入手し得るであろう、と期待して、彼の地
  • 676,611,61,2281言葉や文章を完全に理解する一人のタルタリア生まれの男が居り、その者やその他多くの人々
  • 1714,626,63,2274いて我々は、(前記の囚禁された人たちの口から傳えられ、總てよく知られているので)我々
  • 1298,619,63,2276出來るかどうかを調べる爲めにバタフィアを出帆したものである。また、他の船に搭乘してい
  • 1506,611,63,2291竝びに何處に渡航せんとしたかに就いては我々は良く知っている。船長は、これ迄に二度平戸
  • 1820,617,63,2289同じく、何處へ赴くつもりで航海していたのか、我等に詳しく尋ねるように命じた。これに就
  • 1191,615,72,1568る指揮官の船長は、マールテン。ヘリッツゾーン・ド・フリース(
  • 1406,619,58,1340に來たことがあり、去る三月に二隻の船でタルタリア
  • 780,1663,58,1236で、この船には、オランダに長く滯在して、我等の
  • 1014,615,52,2279タフ〓アを發進し、テルナーテ嶋に寄港、四月初旬同嶋を發して北航、五月十九日、北緯三四度附近で激しい風雨の
  • 967,608,55,2288爲めブレスケンス號と離散した。その後、カストリクム號は蝦夷・千嶋を探檢して北緯四八度五四分、東經一六三〓
  • 911,612,50,2286一分の地に達して引返し、その後一箇月に亘って金銀嶋を探索したが得るところなく、十一月中旬にタイオワンに入
  • 866,608,52,2278港した。一六四四年、彼はバタフィア城裁判所委員collegie van schepenenに就任、四五年、四六年の兩年、フ
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