『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 20 訳8上1643年09月-1644年06月 p.155

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委ねます。このパウ号の〔ゴア〕入港は会社にとって非常な不利益であり、多くの点で有害で, てのこと、その他のニュースについてはここでは詳述せず、付録として添付した抄録と書類に, した。プレシデントは、指図に従って行動し、和平が固く結ばれたとはいえそのような友人の, ルデン一九スタイフェル五ペニングを積んで来たが、去る六月十三日に折悪しく再び漏水に見, 荷舞われ、新たな開戦を知らぬままゴアに入港し、以来船も人員も積荷も同地に抑留されている, へ、他の一隻はマスカットへ航行していた二隻のポルトガル船を拿捕したこと、これらのすべ, ら四七八袋の生糸、一七一四枚の日本向けのイスファハンの革、馬、果実など四三五四九三グ, こと、その報復としてマラッカ周辺で、いずれもマカオへ向かっていたゴアのフスタ船、コーチ, てゴアの入江の付近で何が起こったか(同地には日々さらなる知らせを期待している)、, プレシデ。ントウオレブラント・ヘレインスゾーン〓, ten父子を中心に一六一一五年設立された特権的貿易会社の一つで、チヤールズ一世(一六二五~四九年)の庇の, イギリス船エスペランス号, ンのヤハト船、ゴアの副王にチャーターされた。コ〓。〓会社〓付ラアダ出身で〓t〓幣〓〓our-, ンのヤハト船、ゴアの副王にチャーターされたコートン会社, 六七四)。一六一三年商務助手としてバンダに, 〵護を受けて〓ギリス東インド会社と対抗し、数次にわたってインド地域へ派船したが、失敗に終わった, 赴いて以来、オランダ東インド会社の商務員、商館長として各地を転任。一六四一年四月から四三年二月二十, )wollebrant geleynsz. de jongh(一五九四~, ナ・エスペランサ号bona esperanza, ○コートン会社が一六四三年に派遣したボ, 四年四月にはバタフィアへ帰還。四五年から四七年まで再びペルシアのばスニソプ口〓ア, ウォレブラ, 八日までペルシアの総監を勤め、パウ号でバタフィアに戻る途中でこの抑留に遭った。同年末に釈放され、四, 赴いて以来、オランダ東インド会社の商務員、商館長として各地を転任。一六四一年四月から四三年二月二十, ント・へレ, 、護を受けて〓ギリス東インド会社と対抗し、数次にわたってインド地域へ派船したが、失敗に終わった。, 指揮官に在任し、四八年には帰国船団の司令官として本国へ戻った。かスヒフ船ノ〓号て, )wollebrant geleynsz. de jongh(一五九四~, インスゾー, ten父子を中心に一六二五年設立された特権的貿易会社の一つで、チヤールズ一世(一六二五~四九年)の庇, 六七四)。一六一三年商務助手としてバンダに, アに入港, ハウ号再戦, を知らずゴ, 人員と積荷, 行船を拿捕, コートン会, 抑留, スペランス, 社の英船〓, 報復として, マラッ力航, 号, (p.207), インスゾー, 附録, 一五六

割注

  • ナ・エスペランサ号bona esperanza
  • ○コートン会社が一六四三年に派遣したボ
  • 四年四月にはバタフィアへ帰還。四五年から四七年まで再びペルシアのばスニソプ口〓ア
  • ウォレブラ
  • 八日までペルシアの総監を勤め、パウ号でバタフィアに戻る途中でこの抑留に遭った。同年末に釈放され、四
  • 赴いて以来、オランダ東インド会社の商務員、商館長として各地を転任。一六四一年四月から四三年二月二十
  • ント・へレ
  • 、護を受けて〓ギリス東インド会社と対抗し、数次にわたってインド地域へ派船したが、失敗に終わった。
  • 指揮官に在任し、四八年には帰国船団の司令官として本国へ戻った。かスヒフ船ノ〓号て
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  • ten父子を中心に一六二五年設立された特権的貿易会社の一つで、チヤールズ一世(一六二五~四九年)の庇
  • 六七四)。一六一三年商務助手としてバンダに

頭注

  • アに入港
  • ハウ号再戦
  • を知らずゴ
  • 人員と積荷
  • 行船を拿捕
  • コートン会
  • 抑留
  • スペランス
  • 社の英船〓
  • 報復として
  • マラッ力航
  • (p.207)
  • インスゾー

  • 附録

ノンブル

  • 一五六

注記 (47)

  • 377,596,60,2286委ねます。このパウ号の〔ゴア〕入港は会社にとって非常な不利益であり、多くの点で有害で
  • 477,600,60,2284てのこと、その他のニュースについてはここでは詳述せず、付録として添付した抄録と書類に
  • 275,600,59,2276した。プレシデントは、指図に従って行動し、和平が固く結ばれたとはいえそのような友人の
  • 1195,604,62,2287ルデン一九スタイフェル五ペニングを積んで来たが、去る六月十三日に折悪しく再び漏水に見
  • 1094,504,60,2380荷舞われ、新たな開戦を知らぬままゴアに入港し、以来船も人員も積荷も同地に抑留されている
  • 581,610,60,2268へ、他の一隻はマスカットへ航行していた二隻のポルトガル船を拿捕したこと、これらのすべ
  • 1298,565,61,2328ら四七八袋の生糸、一七一四枚の日本向けのイスファハンの革、馬、果実など四三五四九三グ
  • 992,601,59,2285こと、その報復としてマラッカ周辺で、いずれもマカオへ向かっていたゴアのフスタ船、コーチ
  • 1709,622,62,2230てゴアの入江の付近で何が起こったか(同地には日々さらなる知らせを期待している)、
  • 1599,605,80,1328プレシデ。ントウオレブラント・ヘレインスゾーン〓
  • 808,596,57,2283ten父子を中心に一六一一五年設立された特権的貿易会社の一つで、チヤールズ一世(一六二五~四九年)の庇の
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  • 885,593,64,1562ンのヤハト船、ゴアの副王にチャーターされたコートン会社
  • 1584,1935,51,946六七四)。一六一三年商務助手としてバンダに
  • 766,560,50,2195〵護を受けて〓ギリス東インド会社と対抗し、数次にわたってインド地域へ派船したが、失敗に終わった
  • 1532,596,50,2292赴いて以来、オランダ東インド会社の商務員、商館長として各地を転任。一六四一年四月から四三年二月二十
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  • 1429,606,52,1977四年四月にはバタフィアへ帰還。四五年から四七年まで再びペルシアのばスニソプ口〓ア
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  • 1482,607,53,2347八日までペルシアの総監を勤め、パウ号でバタフィアに戻る途中でこの抑留に遭った。同年末に釈放され、四
  • 1531,601,53,2277赴いて以来、オランダ東インド会社の商務員、商館長として各地を転任。一六四一年四月から四三年二月二十
  • 1570,325,50,212ント・へレ
  • 766,563,51,2195、護を受けて〓ギリス東インド会社と対抗し、数次にわたってインド地域へ派船したが、失敗に終わった。
  • 1385,608,53,2008指揮官に在任し、四八年には帰国船団の司令官として本国へ戻った。かスヒフ船ノ〓号て
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