『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 21 訳8下1644年06月-1644年10月 p.37

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等の澎湖諸島からの書翰により、日本へ向かっていたシャムのジャンク船が同地〔澎湖諸島, 準備を終え装備を調えていたので、王はまず王妃を帰し、率いてきたカンボディアの船も砲撃, を受け傷ついて、フライト船の乗員の判断によれば千人近くが死んだという状況を見て、自分, 自身もオランダ船を捨てて逃げた。前述のフライト船はフライト船オラニエンボーム号も砲撃, ある。さらに、以下のことも知らされた。すなわち、タイオワンでは、ハールレム号の指揮官, して沈め、そこから同船で強制的に働かされていた十人のオランダ人を救出した、とのことで, だ。それによって、再びさらに川を下るための退路が開かれたが、その時には、彼等〔オランダ, 人々を連れて、以前拿捕したオランダ船二隻〓, で難破したが、多くの商品と乗員は救出された、という確かな情報を得た由。さらに詳しい情, レ号を拿捕し、略奪しようと船で出発したが、前述のフライト船はカンボディア人を迎え撃つ, やその他のおびただしい数の船を率いて、運が良ければフライト船ノールトステ, を含む約五十人をこの第一と第二の堰〔の戦い〕で失っていたが、敵のうち優, 人〕のうち、カピテン・コマンデュール・ハラウゼ, 〓に千人から千二百人を倒したと思われた。その後、王自身も王妃やその他のこの国の高位の, の要塞攻略の戦闘に参加した。一六四四年三月オランダ人船員殺害の報復のためカンボディアに派遣されたが、七月, に昇進した。一六四一年からフィリピン・台湾・バタフィアなどの地に遊撃艦隊の司令官として赴き、一六四二年基隆, ○ヤハト船レイスウェイク号とフライト船オラ二エンボーム, 三頁参看, 〓。一六四三年十二月カンボディアで奪われた。本書訳文編, 二十二日同地の戦, 之八(上), 闘で落命した, )ヘンドリック・ハラウゼhendrick harouse。一六一五, 年よりモルッ力諸島に勤務し、一六二九年同地で大尉, 号, に昇進した。一六四一年からフィリピン・台湾・バタフィアなどの地に遊撃艦隊の司令官として赴き、一六四二年基隆, の要塞攻略の戦闘に参加した。一六四四年三月オランダ人船員殺害の報復のためカンボディアに派遣されたが、七月, 蘭人を救出, 同地拘禁の, 澎湖諸島で, シャム船難, ウゼの死, 司令官ハラ, 破, 一六四四年八月長崎にて, 六

割注

  • ○ヤハト船レイスウェイク号とフライト船オラ二エンボーム
  • 三頁参看
  • 〓。一六四三年十二月カンボディアで奪われた。本書訳文編
  • 二十二日同地の戦
  • 之八(上)
  • 闘で落命した
  • )ヘンドリック・ハラウゼhendrick harouse。一六一五
  • 年よりモルッ力諸島に勤務し、一六二九年同地で大尉
  • に昇進した。一六四一年からフィリピン・台湾・バタフィアなどの地に遊撃艦隊の司令官として赴き、一六四二年基隆
  • の要塞攻略の戦闘に参加した。一六四四年三月オランダ人船員殺害の報復のためカンボディアに派遣されたが、七月

頭注

  • 蘭人を救出
  • 同地拘禁の
  • 澎湖諸島で
  • シャム船難
  • ウゼの死
  • 司令官ハラ

  • 一六四四年八月長崎にて

ノンブル

注記 (36)

  • 359,582,56,2309等の澎湖諸島からの書翰により、日本へ向かっていたシャムのジャンク船が同地〔澎湖諸島
  • 876,577,57,2319準備を終え装備を調えていたので、王はまず王妃を帰し、率いてきたカンボディアの船も砲撃
  • 773,577,57,2318を受け傷ついて、フライト船の乗員の判断によれば千人近くが死んだという状況を見て、自分
  • 669,579,56,2317自身もオランダ船を捨てて逃げた。前述のフライト船はフライト船オラニエンボーム号も砲撃
  • 462,578,55,2320ある。さらに、以下のことも知らされた。すなわち、タイオワンでは、ハールレム号の指揮官
  • 565,582,55,2314して沈め、そこから同船で強制的に働かされていた十人のオランダ人を救出した、とのことで
  • 1707,566,55,2325だ。それによって、再びさらに川を下るための退路が開かれたが、その時には、彼等〔オランダ
  • 1186,577,55,1115人々を連れて、以前拿捕したオランダ船二隻〓
  • 255,589,57,2305で難破したが、多くの商品と乗員は救出された、という確かな情報を得た由。さらに詳しい情
  • 980,582,56,2305レ号を拿捕し、略奪しようと船で出発したが、前述のフライト船はカンボディア人を迎え撃つ
  • 1084,880,56,2015やその他のおびただしい数の船を率いて、運が良ければフライト船ノールトステ
  • 1396,945,53,1952を含む約五十人をこの第一と第二の堰〔の戦い〕で失っていたが、敵のうち優
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