『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 23 訳9 1644年10月-1646年09月 p.67

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た。正午過ぎに南風が吹いた。, ようとせず、それゆえオランダ人をそこへ行かせることができなかった。一時間以上後になっ, 呼ばせ、知事に知らせたが、見張りからまだ知らせが来ていなかったため、彼はほとんど信じ, の手紙を持ってそこへ行ったが、彼等がようやく船上へ行ったのは〔我々の〕商館からあまり, てやっと知らせが届き、二人のオランダ人が、すべてに於いてそれに従って行動するよう勧告, 二十一日なお二隻のジヤンク船が、一隻はクイナム, 二十二日正午、一隻のオランダ船が海上にいるのが商館から見えた。それについて通詞を, 〓遠くないところでだった。フライト船メールマン号であり、バタフィア及びタイオワンからの, 着いてしばらくして、我々は同船上に赴き、乗員の中にローマ教徒がいるかどうか聞くように, も離れた。本日、二隻のジヤンク船が福州と〓州から当地の停泊地に着いた。, ボンゴイに勧められ、それをして、いないとわかった。乗員数を数え、彼等に日本人の命令に, から、もう一隻は福州から到着し, の死、彼の卓越した統治もそれとともに終わりを告げ、その後の支, 〓二六五一二九グルデン三スタイフェル一三ペニングの貨物を積載していると知った。停泊地に, 従うよう、さらに必要なことを勧告し、友人たちととともに書類を携えて商館に戻り、総督ア, ント二オ・ファン・ディーメン, 一六四五年八月長崎にて, ○一五九三-一六四五。キューレンボルグ生まれ。一六二五年に東インド評議, 会参事となる。一旦帰国の後、一六三六年一月一日より一六四五年四月十九日, の死去まで総督としてオランダ東, ○広, インド会社の発展に貢献した, 南, 州船入港, クイナム船, 蘭船目撃, 福州船入, 福州船・〓, 港, ン死去の報, 総督ファン, 号入港, ・デイーメ, メールマン, 一六四五年八月長崎にて, 六七

割注

  • ○一五九三-一六四五。キューレンボルグ生まれ。一六二五年に東インド評議
  • 会参事となる。一旦帰国の後、一六三六年一月一日より一六四五年四月十九日
  • の死去まで総督としてオランダ東
  • ○広
  • インド会社の発展に貢献した

頭注

  • 州船入港
  • クイナム船
  • 蘭船目撃
  • 福州船入
  • 福州船・〓
  • ン死去の報
  • 総督ファン
  • 号入港
  • ・デイーメ
  • メールマン

  • 一六四五年八月長崎にて

ノンブル

  • 六七

注記 (36)

  • 1603,570,54,723た。正午過ぎに南風が吹いた。
  • 1300,565,54,2291ようとせず、それゆえオランダ人をそこへ行かせることができなかった。一時間以上後になっ
  • 1400,568,58,2302呼ばせ、知事に知らせたが、見張りからまだ知らせが来ていなかったため、彼はほとんど信じ
  • 1096,572,57,2298の手紙を持ってそこへ行ったが、彼等がようやく船上へ行ったのは〔我々の〕商館からあまり
  • 1198,571,58,2298てやっと知らせが届き、二人のオランダ人が、すべてに於いてそれに従って行動するよう勧告
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  • 997,529,54,2334〓遠くないところでだった。フライト船メールマン号であり、バタフィア及びタイオワンからの
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