『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 23 訳9 1644年10月-1646年09月 p.84

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人たちが損害を受けないよう、それを持ってくるように、という命令を出した。また、何隻か, パンカドの決定について丁寧に詳しく忠告をした。知事たちも、二人揃ってちょつと島の様子, の船に彼等の兵士たちと一、二人の通詞を乗せて、海岸沿いで発見されるあらゆるオランダ人, 以前に、各船の破損状況を聞き我々に最初に知らせをもたらすために、すべての船に派遣され、, のあるいはその他の品物を探すために派遣し、四、五個の箱を得、それらを夕刻には商館に持, の市長たちが、終日島に、主に我々の住居に詰めていたが、彼等は随時接待を受け、その間に, ていたので大変な大仕事で探し出された。このミヒールはまた、可能な限り早く、すべて正午, それを実行した。正午過ぎ、知事たちは全市中に、何か、どんなつまらない物に見えても、海, を調べに訪れ、その時〔我々は〕彼等に挨拶した。彼等は我々に彼等の〔人手で〕あらゆる手, ってきた。この一件が終わるまでは誰も市中から出て旅に出ることは許されなかった。何故な, 岸であるいは船に乗っている時に発見したものは、誰でも、オランダ人や中国人のような異国, 伝いと援助をしようと申し出、それはある程度実行されたが、しかし完全にではなく任意のも, のだった。陸上に保管されていた船のボートはすべて流されたが無傷で、嵐の時唯一上陸して, いた船長ミヒール・エンゲルケ, は非常に散々になつ, によって、それら, (vremdelingen), ○フライト船ズワルテン・べール号の船長。ヴィスピスノール生まれ。一六一, 九年には上級操舵手として東インドに来着。一度帰国後一六六〇年には再度東, 日の長崎商館決議の署名者の一人。本冊附録三及び八参看, インドに戻った。一六四五年十月二十三日、一六四六年十月一, ○ボ, ト。, 禁止, の流出物回, 唐蘭船より, 収を命令, ルケの奮闘, 船長エンゲ, 奉行市中に, 市中他出の, ボート流出, 一六四五年九月長崎にて, 八四

割注

  • ○フライト船ズワルテン・べール号の船長。ヴィスピスノール生まれ。一六一
  • 九年には上級操舵手として東インドに来着。一度帰国後一六六〇年には再度東
  • 日の長崎商館決議の署名者の一人。本冊附録三及び八参看
  • インドに戻った。一六四五年十月二十三日、一六四六年十月一
  • ○ボ
  • ト。

頭注

  • 禁止
  • の流出物回
  • 唐蘭船より
  • 収を命令
  • ルケの奮闘
  • 船長エンゲ
  • 奉行市中に
  • 市中他出の
  • ボート流出

  • 一六四五年九月長崎にて

ノンブル

  • 八四

注記 (34)

  • 623,567,54,2299人たちが損害を受けないよう、それを持ってくるように、という命令を出した。また、何隻か
  • 1634,569,52,2300パンカドの決定について丁寧に詳しく忠告をした。知事たちも、二人揃ってちょつと島の様子
  • 521,567,53,2299の船に彼等の兵士たちと一、二人の通詞を乗せて、海岸沿いで発見されるあらゆるオランダ人
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  • 419,568,53,2297のあるいはその他の品物を探すために派遣し、四、五個の箱を得、それらを夕刻には商館に持
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  • 1028,568,55,2303ていたので大変な大仕事で探し出された。このミヒールはまた、可能な限り早く、すべて正午
  • 824,556,55,2318それを実行した。正午過ぎ、知事たちは全市中に、何か、どんなつまらない物に見えても、海
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  • 316,576,58,2287ってきた。この一件が終わるまでは誰も市中から出て旅に出ることは許されなかった。何故な
  • 723,555,57,2315岸であるいは船に乗っている時に発見したものは、誰でも、オランダ人や中国人のような異国
  • 1432,561,52,2304伝いと援助をしようと申し出、それはある程度実行されたが、しかし完全にではなく任意のも
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