『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 23 訳9 1644年10月-1646年09月 p.91

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ちは〕結局は島の門のところまで来て、カピテンが市長たちによって昨年より一ピコルに付き, にさせられた。もし否の場合には我々に対しなおいくらか低く考え直す時間を与え、そうでな, そこでその結果を期待して待つ。, 四〇タエル安い価格に甘んじるところまで導かれたと知らされるのを待っている、ということ, 主要な市長だけが一足先に通詞たちとともに来て、我々に、なお今日中にこの件を終わらせる, ためにどのように働くか長々と述べ、しかし、カピテンが非常に高く言値をし、非常に強くそ, れにこだわったのを見て、他の都市〔の頭人〕はその気がないとも述べた。しかし、〔頭人た, 午後、通詞吉兵衛が来て、都市の頭人たちは昨日より早くここへ来るだろうと言ったが、今, 強風で揺れないようにバラストを積み込んだ。レーウェリック号からは何門かの大砲とその他, 定させれば、潮が満ちることによってレーウェリック号が起き上がると期待する、と述べた。, や日も完全に暮れたのにまだ現れず、ほとんど空手形になるところだったが、ようやく二人の, 〓は午後我々に、干潮の間に二隻の船がその器具道具類をレーウェリック号に固, なったが、その後水位の下降により再び底に接触し、次の満潮で停泊地に来ることに期待して、, のものが卸され、船長のヨナタン・デ・ネッケル, ○ヤハト船レーウェリック号の船長。一六三六年までに, で本国へ戻った, は東インドに到着し、一六四四年の初めにフライト船ノ, にバタフィア経由, ールトステレ号の船長としてカンボディアからバタフィアへ帰還したが、殺されたオランダ人水夫の復讐を期したン, ドリック・ハラウゼの艦隊の一員として再び三月にはカンボディアへ向かった。その後日本に寄港した後、一六四五年, 船長デ・ネ, ツク号の復, ため来館, 交渉再開の, がパンカド, 五箇所年寄, は蘭人妥協, 旧作業, を門外で待, 町年寄のみ, ツケル, レーウェリ, つ, 一六四五年九月長崎にて, (met vallen van 't water weder vastgeraeckt), 九一

割注

  • ○ヤハト船レーウェリック号の船長。一六三六年までに
  • で本国へ戻った
  • は東インドに到着し、一六四四年の初めにフライト船ノ
  • にバタフィア経由
  • ールトステレ号の船長としてカンボディアからバタフィアへ帰還したが、殺されたオランダ人水夫の復讐を期したン
  • ドリック・ハラウゼの艦隊の一員として再び三月にはカンボディアへ向かった。その後日本に寄港した後、一六四五年

頭注

  • 船長デ・ネ
  • ツク号の復
  • ため来館
  • 交渉再開の
  • がパンカド
  • 五箇所年寄
  • は蘭人妥協
  • 旧作業
  • を門外で待
  • 町年寄のみ
  • ツケル
  • レーウェリ

  • 一六四五年九月長崎にて
  • (met vallen van 't water weder vastgeraeckt)

ノンブル

  • 九一

注記 (36)

  • 590,561,61,2307ちは〕結局は島の門のところまで来て、カピテンが市長たちによって昨年より一ピコルに付き
  • 388,569,61,2294にさせられた。もし否の場合には我々に対しなおいくらか低く考え直す時間を与え、そうでな
  • 1195,557,53,781そこでその結果を期待して待つ。
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  • 795,561,58,2302ためにどのように働くか長々と述べ、しかし、カピテンが非常に高く言値をし、非常に強くそ
  • 692,562,60,2301れにこだわったのを見て、他の都市〔の頭人〕はその気がないとも述べた。しかし、〔頭人た
  • 1094,606,63,2254午後、通詞吉兵衛が来て、都市の頭人たちは昨日より早くここへ来るだろうと言ったが、今
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  • 1296,553,63,2271定させれば、潮が満ちることによってレーウェリック号が起き上がると期待する、と述べた。
  • 993,565,62,2294や日も完全に暮れたのにまだ現れず、ほとんど空手形になるところだったが、ようやく二人の
  • 1399,878,59,1981〓は午後我々に、干潮の間に二隻の船がその器具道具類をレーウェリック号に固
  • 1804,564,62,2305なったが、その後水位の下降により再び底に接触し、次の満潮で停泊地に来ることに期待して、
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