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ルスト氏とともに、ファン・ツム氏を出迎え、陸へ案内するために同船へ赴き、そうした。夕, 地へ連れて来るために、三〇隻のバルク船を派遣した。その後で、上級商務員セイザルを書類, のボンゴイがともに、料理と飲み物で良いもてなしを受け、充分に満足しているのを見た。そ, とともに上陸させるためヤハト船上へ赴いた。同船上で、博多の領主と三郎左衛門殿それぞれ, した。, れから陸へ戻った。正午に、シヤムからの船が停泊地へ着き、我々はセイザル氏とブルックホ, 三十日逆風だったので、シャムから来たヘンリエッテ・ルイーズ号へ、同船を曳航し停泊, てすべて知らせるために派遣された。戻って来た我々の〔商館の〕オランダ人と通詞たちによ, って、第一の船はタイオワンから、私の後任として、ファン・ツム氏が何らかの遇発事によっ, てシヤムに残るような場合のために、上級商務員のコルネリス・セイザル, ン・ツム氏, が停泊地に到着, にある、という知らせを乗せていた。夕刻にはヤハト船アハテケルケ号, と、同王国に於いてはすべてが再び正常化し、同地に於ける会社の業務は良好な状態, 「を乗せて来ており、第二の船はシヤムからで、私の後任レイニール・ファ, ○一六二九年以来シヤムに勤務し、一六四一年上級商務員となり、同年から一六四三年まで同地の商館長, の任にあった。バタフィアへ戻った後、一六四五年十一月三十日より一六四六年十月二十七日まで日本商, 長官を務め、一六五七, 年バタフィアで死亡, ○一六〇九-一六五七。, ○第, 年からタイオワンに、一六三六-三八年はクイナムに勤務し、一六四一年には上級商務員に昇進した。一六四六年には, 旦帰国し、一六五一年にバタフィアに戻り、東インド評議会員外参事となる。一六五三年から伍六年までタイれオワン, 館長を務, の船, フース生まれ。一六二九, める, 〓.reynier van izum), 〓を乗せて来ており、第二の船はシヤムからで、私の後任レイニール・ファ, フース生ま, テ・ケルケ, タイオワン, コルネリス, よりのアハ, 上陸, 第二の船は, ・セイザル, シヤムより, 第一の船は, のヘンリエ, ーズ号, ム上陸, ファン・ツ, ツテ・ルイ, 号, 一六四五年九月長崎にて, 九九
割注
- ○一六二九年以来シヤムに勤務し、一六四一年上級商務員となり、同年から一六四三年まで同地の商館長
- の任にあった。バタフィアへ戻った後、一六四五年十一月三十日より一六四六年十月二十七日まで日本商
- 長官を務め、一六五七
- 年バタフィアで死亡
- ○一六〇九-一六五七。
- ○第
- 年からタイオワンに、一六三六-三八年はクイナムに勤務し、一六四一年には上級商務員に昇進した。一六四六年には
- 旦帰国し、一六五一年にバタフィアに戻り、東インド評議会員外参事となる。一六五三年から伍六年までタイれオワン
- 館長を務
- の船
- フース生まれ。一六二九
- める
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- 〓を乗せて来ており、第二の船はシヤムからで、私の後任レイニール・ファ
- フース生ま
頭注
- テ・ケルケ
- タイオワン
- コルネリス
- よりのアハ
- 上陸
- 第二の船は
- ・セイザル
- シヤムより
- 第一の船は
- のヘンリエ
- ーズ号
- ム上陸
- ファン・ツ
- ツテ・ルイ
- 号
柱
- 一六四五年九月長崎にて
ノンブル
- 九九
注記 (47)
- 403,581,53,2297ルスト氏とともに、ファン・ツム氏を出迎え、陸へ案内するために同船へ赴き、そうした。夕
- 806,572,54,2303地へ連れて来るために、三〇隻のバルク船を派遣した。その後で、上級商務員セイザルを書類
- 604,576,53,2294のボンゴイがともに、料理と飲み物で良いもてなしを受け、充分に満足しているのを見た。そ
- 705,569,56,2304とともに上陸させるためヤハト船上へ赴いた。同船上で、博多の領主と三郎左衛門殿それぞれ
- 1013,570,45,124した。
- 503,574,53,2298れから陸へ戻った。正午に、シヤムからの船が停泊地へ着き、我々はセイザル氏とブルックホ
- 908,629,54,2243三十日逆風だったので、シャムから来たヘンリエッテ・ルイーズ号へ、同船を曳航し停泊
- 1819,568,58,2297てすべて知らせるために派遣された。戻って来た我々の〔商館の〕オランダ人と通詞たちによ
- 1718,577,56,2279って、第一の船はタイオワンから、私の後任として、ファン・ツム氏が何らかの遇発事によっ
- 1616,572,60,1814てシヤムに残るような場合のために、上級商務員のコルネリス・セイザル
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- 1103,571,68,1785にある、という知らせを乗せていた。夕刻にはヤハト船アハテケルケ号
- 1211,740,55,2129と、同王国に於いてはすべてが再び正常化し、同地に於ける会社の業務は良好な状態
- 1412,973,59,1895「を乗せて来ており、第二の船はシヤムからで、私の後任レイニール・ファ
- 1339,859,46,2020○一六二九年以来シヤムに勤務し、一六四一年上級商務員となり、同年から一六四三年まで同地の商館長
- 1297,854,43,2021の任にあった。バタフィアへ戻った後、一六四五年十一月三十日より一六四六年十月二十七日まで日本商
- 1440,566,42,424長官を務め、一六五七
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- 1498,603,46,2257旦帰国し、一六五一年にバタフィアに戻り、東インド評議会員外参事となる。一六五三年から伍六年までタイれオワン
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