『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 23 訳9 1644年10月-1646年09月 p.174

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からマラ, らく前にバタフィアから同地に到着した二隻のオランダ船から知らされたのだが)ゴアから来, 閣下方によって後任とされ、同商館に長として勤務することとなった〔こと〕、商品の買い入, によって我々に伝えられた。すなわち、〔その船が〕マラッカで聞いたところによると(しば, して来るのが見えた。風は全く微かだったので、湾の中程で投錨を余儀なくされた。前述の, れは、依然として順調であるが、販売は全く悲惨な状態である〔ことも知った〕。, 人によって毒殺され、今年一月二十三日に死に、彼、ファン・マイデンが東インド評議会参事, 付の、ある文書, ツカ経由で来た一隻から以下のことを知ったことが、去る七月九日, ルデイク, の書翰と送状から、両フライト船の, デ・フロートと船長ドホが戻り、それらがシヤムから来たコーニンク・ファン・ポーレン号と, から、三隻の, は、黒人の料理, ポルトガルのペターシェ船と出会い、特にその中のネガパットナム, 〓船長ヤコプヤコプス・ストライク, ベルクハウト号の両フライト船であることを報告した。商務員ヤン・ファン・マイデン, デン三スタイフェル一二ペニングに上ることを知った。シヤム商館長であった上級商務員ムー, 船荷は、鹿皮、蘇木、鮫皮、黒漆、いくらかの沈香、水牛角等からなり、総額四二〇二一グル, ○フライト船ベルクハウト号船長。署名は一六四六, ○イザーク・ムールデイク(?|一六四六)。ドルドレヒト生まれ。一六四五年に上級, 六四六年から一六五〇年までシヤム商館長。当該の書翰は、インドよ, ○c本「十七, 日」に作る。, ○下級, ブル海岸の地名, 年十月一日付決議に見られる。本冊附録八参看一, ○インドのコロマン, 商務員に昇進し、レイニール・ファン・ツムの後任としてシヤム商館長に任命された, 商務員, リの到着文書集(ka一〇六二、voc一一六〇)に収録されている。, (hartevelen, sappanhout, rochevellen, swart lack, eenlgh agerhout, buffelshoorens), れる, 両船の積荷, シヤムより, 前シヤム商, ト号入港, 情報, 長の書翰, コーニンク, シヤム商館, ベルクハウ, ファン・マ, 館長毒殺さ, イデン, 葡船からの, ファン, 新任商館長, ポーレン号, 一六四六年八月長崎にて, 一七五

割注

  • ○フライト船ベルクハウト号船長。署名は一六四六
  • ○イザーク・ムールデイク(?|一六四六)。ドルドレヒト生まれ。一六四五年に上級
  • 六四六年から一六五〇年までシヤム商館長。当該の書翰は、インドよ
  • ○c本「十七
  • 日」に作る。
  • ○下級
  • ブル海岸の地名
  • 年十月一日付決議に見られる。本冊附録八参看一
  • ○インドのコロマン
  • 商務員に昇進し、レイニール・ファン・ツムの後任としてシヤム商館長に任命された
  • 商務員
  • リの到着文書集(ka一〇六二、voc一一六〇)に収録されている。
  • (hartevelen, sappanhout, rochevellen, swart lack, eenlgh agerhout, buffelshoorens)

頭注

  • れる
  • 両船の積荷
  • シヤムより
  • 前シヤム商
  • ト号入港
  • 情報
  • 長の書翰
  • コーニンク
  • シヤム商館
  • ベルクハウ
  • ファン・マ
  • 館長毒殺さ
  • イデン
  • 葡船からの
  • ファン
  • 新任商館長
  • ポーレン号

  • 一六四六年八月長崎にて

ノンブル

  • 一七五

注記 (51)

  • 707,2645,51,212からマラ
  • 401,555,57,2316らく前にバタフィアから同地に到着した二隻のオランダ船から知らされたのだが)ゴアから来
  • 1007,552,56,2307閣下方によって後任とされ、同商館に長として勤務することとなった〔こと〕、商品の買い入
  • 503,555,56,2310によって我々に伝えられた。すなわち、〔その船が〕マラッカで聞いたところによると(しば
  • 1816,551,55,2299して来るのが見えた。風は全く微かだったので、湾の中程で投錨を余儀なくされた。前述の
  • 907,558,54,1958れは、依然として順調であるが、販売は全く悲惨な状態である〔ことも知った〕。
  • 1107,545,56,2318人によって毒殺され、今年一月二十三日に死に、彼、ファン・マイデンが東インド評議会参事
  • 606,2474,51,385付の、ある文書
  • 604,567,55,1640ツカ経由で来た一隻から以下のことを知ったことが、去る七月九日
  • 1212,555,45,210ルデイク
  • 1510,1948,57,902の書翰と送状から、両フライト船の
  • 1716,541,52,2315デ・フロートと船長ドホが戻り、それらがシヤムから来たコーニンク・ファン・ポーレン号と
  • 807,2529,52,323から、三隻の
  • 1210,2479,53,377は、黒人の料理
  • 702,550,62,1695ポルトガルのペターシェ船と出会い、特にその中のネガパットナム
  • 788,508,91,1002〓船長ヤコプヤコプス・ストライク
  • 1613,558,56,2166ベルクハウト号の両フライト船であることを報告した。商務員ヤン・ファン・マイデン
  • 1309,550,54,2304デン三スタイフェル一二ペニングに上ることを知った。シヤム商館長であった上級商務員ムー
  • 1409,562,55,2290船荷は、鹿皮、蘇木、鮫皮、黒漆、いくらかの沈香、水牛角等からなり、総額四二〇二一グル
  • 833,1520,42,982○フライト船ベルクハウト号船長。署名は一六四六
  • 1233,783,46,1677○イザーク・ムールデイク(?|一六四六)。ドルドレヒト生まれ。一六四五年に上級
  • 1539,580,43,1352六四六年から一六五〇年までシヤム商館長。当該の書翰は、インドよ
  • 633,2214,41,249○c本「十七
  • 588,2213,42,218日」に作る。
  • 1646,2733,38,125○下級
  • 690,2243,40,301ブル海岸の地名
  • 788,1510,46,917年十月一日付決議に見られる。本冊附録八参看一
  • 732,2243,39,369○インドのコロマン
  • 1194,779,42,1650商務員に昇進し、レイニール・ファン・ツムの後任としてシヤム商館長に任命された
  • 1601,2731,41,137商務員
  • 1497,559,40,1352リの到着文書集(ka一〇六二、voc一一六〇)に収録されている。
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