『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 25 訳10 1646年09月-1647年09月 p.207

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手紙類を携えて既に沖へ行っていたが、しかし知事にさらに一乃至二人のオランダ人をそちら, へ行かせるよう願わせ、それに対して我々に同意が与えられ、さらに手が尽くされた。, 彼の地から到着するのを待たなければならない。〔神が〕他の〔各船〕もさらに到着するよう, 船の近辺で発砲しないよう, 知事の指示によって、船は湾の入口と当地の停泊地では〔よいが〕、航路の間やポルトガル, ない、と述べた書翰を落手した。そこで、前述のように、さらに第三のフライト船、, デン, もに、当地を目指してシヤムを出発したこと、である。同船で、商館長ヨアン・ファン・マイ, り、常にない船荷を手に入れた一方、米は非常に高価で、入手が困難であるか或いは全くでき, の辺りを航行して、来ていること、〔両船は〕七月二日に、ヨンケル号(同船は同月二十五日, 同月八日朝、さらに一艘の伝道船が送られ、その後程なく、下級商務員ヨハン・デ・フロ, コーチ・シナ沿岸のボックスホーレンの辺りで悪天候によって行方がわからなくなった)とと, からさらなる知らせを得, の、同地では今もすべてが良い状況にあ, た。すなわち、フライト船ベルクハウト号が〔湾の〕入口のすぐ近くに、カムペン号は伊王島, ートとブーシェリヨン, さらなる命令〔が出された〕, が、, ○「しないよう」, 下級商務員、一六四六年から一六五〇年までシヤム商館長, ○ヨアン或いはヤン・ファン・マイデンjoan/jan van muyden, ○ヨハネス・ブーシェリヨンjohannes bouchelion。一六四〇年代に商務助手として来日以, b本より補う。, 来、一六五〇年代まで日本に勤務し、一六五五年に上級商務員に昇進した。一六五五年か, ら五六年、一六五七年から五八年、一六五九年から六〇年の三回にわたつて日本商館長, ○ヨンケ, を勤め、一六六一年に帰国した。履歴の詳細については本書訳文編之七、九三頁参看。, ル号, (tentjen), シヤム商館, 再度命令, 力ムペン号, 発砲に関し, と離散, の書翰落手, ヨンケル号, ト号, 長マイデン, ベルクハウ, 一六四七年八月長崎にて, 二〇七

割注

  • ○「しないよう」
  • 下級商務員、一六四六年から一六五〇年までシヤム商館長
  • ○ヨアン或いはヤン・ファン・マイデンjoan/jan van muyden
  • ○ヨハネス・ブーシェリヨンjohannes bouchelion。一六四〇年代に商務助手として来日以
  • b本より補う。
  • 来、一六五〇年代まで日本に勤務し、一六五五年に上級商務員に昇進した。一六五五年か
  • ら五六年、一六五七年から五八年、一六五九年から六〇年の三回にわたつて日本商館長
  • ○ヨンケ
  • を勤め、一六六一年に帰国した。履歴の詳細については本書訳文編之七、九三頁参看。
  • ル号
  • (tentjen)

頭注

  • シヤム商館
  • 再度命令
  • 力ムペン号
  • 発砲に関し
  • と離散
  • の書翰落手
  • ヨンケル号
  • ト号
  • 長マイデン
  • ベルクハウ

  • 一六四七年八月長崎にて

ノンブル

  • 二〇七

注記 (41)

  • 1845,575,59,2295手紙類を携えて既に沖へ行っていたが、しかし知事にさらに一乃至二人のオランダ人をそちら
  • 1742,588,61,2088へ行かせるよう願わせ、それに対して我々に同意が与えられ、さらに手が尽くされた。
  • 400,578,60,2296彼の地から到着するのを待たなければならない。〔神が〕他の〔各船〕もさらに到着するよう
  • 1530,575,59,657船の近辺で発砲しないよう
  • 1636,632,64,2234知事の指示によって、船は湾の入口と当地の停泊地では〔よいが〕、航路の間やポルトガル
  • 502,581,60,2052ない、と述べた書翰を落手した。そこで、前述のように、さらに第三のフライト船、
  • 703,576,64,105デン
  • 811,573,60,2306もに、当地を目指してシヤムを出発したこと、である。同船で、商館長ヨアン・ファン・マイ
  • 607,578,60,2299り、常にない船荷を手に入れた一方、米は非常に高価で、入手が困難であるか或いは全くでき
  • 1013,581,63,2299の辺りを航行して、来ていること、〔両船は〕七月二日に、ヨンケル号(同船は同月二十五日
  • 1427,625,60,2244同月八日朝、さらに一艘の伝道船が送られ、その後程なく、下級商務員ヨハン・デ・フロ
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