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る。しかし、昨日と同様に乗船には至らず、戻って来た。, あればその船に移乗するようにという命令を持たせて派遣した。正午頃に南の風が吹いたが、, ら、正しい港を指示し当地の状況を知らせるために、船に〔人を〕再び派遣しようと思うか、, 与えないようにその丁重な言葉に従った。他日何かを願い出た時に、拒絶されないようにであ, 同月二十八日これで三回目になるが、下級商務員のヤン・デ・フロートを、もし可能性が, 同月二十七日知事は、船は恐らく〔自分たちの〕位置がわからず心配しているであろうか, 微風。その船が、湾の岬を回って入って来るのが見え、その後まもなく前述の下級商務員デ, ことができず、目的を達することなく戻ったが、船を沖の番所が置かれている島から見た。, バタフィアからタイオワン経由で当地に来た前述の船すなわちフライト船ザルム号で来たこと, フロートから、私の後任者ウィレム・フルステーヘン氏, かった。夜が迫っていたので、〔使船に乗った〕同胞はボンゴイをさらに前進する気にさせる, と我々に尋ねさせた。そこ, ぎて留まっていたところへ、風がほぼ東向きだったので、湾に向かって航行することができな, 。へ派遣するつもりはなかったにもかかわらず、〔相手に〕不満を, が、, ○次期長崎商館長。フリッシンゲン生まれ。, 六二九年より平戸に勤務し、一六三四年長崎に, に昇進、一六五〇年には下級裁判所長官、翌年には財務官になった。一六五一年四月、使節としてタイオワン、ト, F之四(上)参看。一六四〇年一月バタフィアの法務委員会書記に昇進。日本を離任した後、東インド評議会員外参事, 侈った。一六三九年秋に、彼の妻の母が日本人だったため日本から追放された。この事件の詳細については、本書訳立, ンキン及びクイナムに派遣され、一六五二年バタフィアの法務委員となり、同年十月本国への帰国が許可された, 移った。, 二度使船派, 後任商館長, 再度使船派, フルステー, ヘン、ザル, 遣, 遣, ム号で到着, 一六四六年八月長崎にて, 一七九
割注
- ○次期長崎商館長。フリッシンゲン生まれ。
- 六二九年より平戸に勤務し、一六三四年長崎に
- に昇進、一六五〇年には下級裁判所長官、翌年には財務官になった。一六五一年四月、使節としてタイオワン、ト
- F之四(上)参看。一六四〇年一月バタフィアの法務委員会書記に昇進。日本を離任した後、東インド評議会員外参事
- 侈った。一六三九年秋に、彼の妻の母が日本人だったため日本から追放された。この事件の詳細については、本書訳立
- ンキン及びクイナムに派遣され、一六五二年バタフィアの法務委員となり、同年十月本国への帰国が許可された
- 移った。
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- 二度使船派
- 後任商館長
- 再度使船派
- フルステー
- ヘン、ザル
- 遣
- ム号で到着
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- 一六四六年八月長崎にて
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- 一七九
注記 (32)
- 1101,565,54,1382る。しかし、昨日と同様に乗船には至らず、戻って来た。
- 898,565,57,2261あればその船に移乗するようにという命令を持たせて派遣した。正午頃に南の風が吹いたが、
- 1403,564,57,2262ら、正しい港を指示し当地の状況を知らせるために、船に〔人を〕再び派遣しようと思うか、
- 1203,560,54,2303与えないようにその丁重な言葉に従った。他日何かを願い出た時に、拒絶されないようにであ
- 1001,600,57,2259同月二十八日これで三回目になるが、下級商務員のヤン・デ・フロートを、もし可能性が
- 1504,608,58,2253同月二十七日知事は、船は恐らく〔自分たちの〕位置がわからず心配しているであろうか
- 798,562,57,2282微風。その船が、湾の岬を回って入って来るのが見え、その後まもなく前述の下級商務員デ
- 1605,563,58,2225ことができず、目的を達することなく戻ったが、船を沖の番所が置かれている島から見た。
- 394,566,57,2308バタフィアからタイオワン経由で当地に来た前述の船すなわちフライト船ザルム号で来たこと
- 697,563,56,1384フロートから、私の後任者ウィレム・フルステーヘン氏
- 1709,565,59,2292かった。夜が迫っていたので、〔使船に乗った〕同胞はボンゴイをさらに前進する気にさせる
- 1303,560,50,654と我々に尋ねさせた。そこ
- 1809,560,60,2294ぎて留まっていたところへ、風がほぼ東向きだったので、湾に向かって航行することができな
- 1304,1276,56,1583。へ派遣するつもりはなかったにもかかわらず、〔相手に〕不満を
- 499,2792,53,63が、
- 726,1959,44,883○次期長崎商館長。フリッシンゲン生まれ。
- 683,1970,45,891六二九年より平戸に勤務し、一六三四年長崎に
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- 580,576,47,2284F之四(上)参看。一六四〇年一月バタフィアの法務委員会書記に昇進。日本を離任した後、東インド評議会員外参事
- 622,577,47,2282侈った。一六三九年秋に、彼の妻の母が日本人だったため日本から追放された。この事件の詳細については、本書訳立
- 477,557,47,2156ンキン及びクイナムに派遣され、一六五二年バタフィアの法務委員となり、同年十月本国への帰国が許可された
- 624,559,38,142移った。
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