Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
及び二人の船長にこの痛ましい悲劇をもっと詳しく調査し、それについて何か知ってい, 同月十七日また祭日で、誰も島には来られず、従って何もできなかった。, それは、当地の我々を非常に混乱させた。帳簿は既に閉じられ、今月二十八日には出発させる, る者一人一人を厳しく追及するように、と命じた。そのように実行され、語られたのとほとん, ど同じように〔事件が〕起きたことがわかった。, を〕剃っていた。彼等は恐らく来た時と同じように、再び出発しなければならないだろう。以, 終えた。大部分は、一〇〇〇ピコルの棹銅と約一一〇〇ピコルの板銅、及び樟脳などである。, 同月十九日思いがけなく、非常に遅れて当地にフライト船オーフルスヒー号が現れ、砂糖, 前当地で貿易を拒絶され、タルタリア人のように頭を剃っている者は誰も戻って来てはならな, ばかりになっていたからである。とりわけ、東インド評議会参事閣下方、およびフランソワ, 同日、当地にジヤンク船二隻が来た。一隻は福州から、もう一隻は南京からで、全員が〔髪, 麻布、鹿皮〔〕, い〔ということになっている〕からである。, 同月十八日ヤハト船ゼーロプ号とフライト船コーニンク・ファン・ポーレン号が荷積みを, その他の小物類、〔〕グルデン, をもたらした。, ○原文、, ○原文, 空白, 空白, てい, えられる。一六四四年に離日してバタフィアへ向い、一六四五年再来日。その後、一六四七年、一六四九年にも来日し, バイレフェルト(一六一九|一六五四)。一六四三年ブレスケンス号で来日、船長スハープとともに陸奧山田浦で捕ら, る。, は報告通り, 弁髪, 京船入港, 福州船・南, 調査の結果, 乗員は全員, その積荷, ヒー号入港, のため困惑, 荷積完了, ゼーロプ号, 帳簿締切後, オーフルス, ポール号, 一六四六年十月長崎にて, 二〇八
割注
- ○原文、
- ○原文
- 空白
- てい
- えられる。一六四四年に離日してバタフィアへ向い、一六四五年再来日。その後、一六四七年、一六四九年にも来日し
- バイレフェルト(一六一九|一六五四)。一六四三年ブレスケンス号で来日、船長スハープとともに陸奧山田浦で捕ら
- る。
頭注
- は報告通り
- 弁髪
- 京船入港
- 福州船・南
- 調査の結果
- 乗員は全員
- その積荷
- ヒー号入港
- のため困惑
- 荷積完了
- ゼーロプ号
- 帳簿締切後
- オーフルス
- ポール号
柱
- 一六四六年十月長崎にて
ノンブル
- 二〇八
注記 (40)
- 1654,684,56,2182及び二人の船長にこの痛ましい悲劇をもっと詳しく調査し、それについて何か知ってい
- 948,618,55,1832同月十七日また祭日で、誰も島には来られず、従って何もできなかった。
- 438,564,59,2304それは、当地の我々を非常に混乱させた。帳簿は既に閉じられ、今月二十八日には出発させる
- 1551,552,57,2319る者一人一人を厳しく追及するように、と命じた。そのように実行され、語られたのとほとん
- 1454,570,54,1167ど同じように〔事件が〕起きたことがわかった。
- 1249,559,57,2316を〕剃っていた。彼等は恐らく来た時と同じように、再び出発しなければならないだろう。以
- 742,566,58,2276終えた。大部分は、一〇〇〇ピコルの棹銅と約一一〇〇ピコルの板銅、及び樟脳などである。
- 640,627,60,2253同月十九日思いがけなく、非常に遅れて当地にフライト船オーフルスヒー号が現れ、砂糖
- 1147,568,58,2305前当地で貿易を拒絶され、タルタリア人のように頭を剃っている者は誰も戻って来てはならな
- 341,565,54,2284ばかりになっていたからである。とりわけ、東インド評議会参事閣下方、およびフランソワ
- 1348,613,57,2266同日、当地にジヤンク船二隻が来た。一隻は福州から、もう一隻は南京からで、全員が〔髪
- 546,564,53,567麻布、鹿皮〔〕
- 1051,576,52,1052い〔ということになっている〕からである。
- 843,590,61,2278同月十八日ヤハト船ゼーロプ号とフライト船コーニンク・ファン・ポーレン号が荷積みを
- 543,1350,52,973その他の小物類、〔〕グルデン
- 544,2482,46,354をもたらした。
- 571,1169,40,140○原文、
- 568,2343,39,121○原文
- 527,2340,39,90空白
- 531,1169,37,88空白
- 1689,569,33,86てい
- 1735,573,47,2297えられる。一六四四年に離日してバタフィアへ向い、一六四五年再来日。その後、一六四七年、一六四九年にも来日し
- 1780,576,47,2294バイレフェルト(一六一九|一六五四)。一六四三年ブレスケンス号で来日、船長スハープとともに陸奧山田浦で捕ら
- 1650,567,34,53る。
- 1522,302,41,208は報告通り
- 1200,301,40,79弁髪
- 1321,303,42,164京船入港
- 1366,303,42,208福州船・南
- 1568,302,44,210調査の結果
- 1248,300,40,210乗員は全員
- 730,303,41,165その積荷
- 591,304,39,205ヒー号入港
- 412,303,41,204のため困惑
- 776,301,43,164荷積完了
- 871,301,40,212ゼーロプ号
- 457,298,40,211帳簿締切後
- 638,303,37,202オーフルス
- 828,336,36,181ポール号
- 1855,806,45,493一六四六年十月長崎にて
- 1851,2526,47,130二〇八
類似アイテム

『日本関係海外史料』 イエズス会日本書翰集 6 訳文編之2(上) 天文21年12月~23年11月 p.228

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 27 訳11 1647年10月-1649年10月 p.260

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 23 訳9 1644年10月-1646年09月 p.19

『日本関係海外史料』 イエズス会日本書翰集 6 訳文編之2(上) 天文21年12月~23年11月 p.169

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 27 訳11 1647年10月-1649年10月 p.210

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 23 訳9 1644年10月-1646年09月 p.17

『日本関係海外史料』 イエズス会日本書翰集 8 訳文編之3 弘冶1年11月~永禄2年11月 p.292

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 21 訳8下1644年06月-1644年10月 p.70